ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Charles Martin の "When Crickets Cry", Justin Cronin の "The Summer Guest" と John McGahern の "By the Lake"

 宮仕えの身だと、思うように本を読めないのがつらい。この連休中も結局、家で仕事ばかりしていた。というわけで、これは昔話。かなり旧聞に属するが、さる7月9日、Christian Book Award の本年度受賞作が発表され、Karen Kingsbury の "Ever After" が大賞に選ばれた。http://www.ecpa.org/christianbookawards/winners2007.php
 日本ではほとんど知られていない賞だと思うが、the Evangelical Christian Publishers Association という団体が78年に設立したもので、毎年、キリスト教関連の優秀な作品に与えられ、過去の受賞作家を見ると、かの Francine Rivers の名前もある。
 ぼくはキングズベリーの受賞作は未読だが、候補作の一つだった Charles Martin の "When Crickets Cry" にはかなり感心し、夏休みにアマゾンにレビューを投稿した。(その後、削除)

When Crickets Cry

When Crickets Cry

[☆☆☆☆] 涙腺の弱い人は電車の中では読まないほうがいい。かく言う評者もほとんど車内の読書だったが、何度か目頭の熱くなる場面があり、そのたびに困ってしまった。舞台はアメリカ南部、ダムの人造湖に面した田舎町。通りでレモネードを売っている少女が交通事故に遭い、それを主人公の男がなぜか豊富な医学知識を発揮して助ける。男は何者なのか? 男には義弟がいるのだが、その弟は盲目。視力をうしなった原因は男に関係があるらしい。そもそも、男の妻はどうしたのか? こういった謎が少しずつ解明され、人物関係がわかったところで以後の展開、結末が読めてしまうのが欠点といえば欠点だが、それでも本書が深い感動を与えるのは、男や妻、心臓病患者である少女のちょっとした言葉に、愛する者へのひたむきな思いが凝縮されているからだ。最後に出てくる妻の手紙など、涙なしには読めない。結末が読めると書いたが、じつは終盤、え? と思わせる展開もあって目が離せない。『きみに読む物語』や Justin Cronin の "The Summer Guest" と似た味わいの、いわゆる難病物の秀作である。医学関係の用語を除けば、英語はごく標準的で読みやすい。

 ……この賞の小説部門賞を受賞した本書だが、これがなぜ候補作になったかというと、うろ憶えだが、たしか神の恩寵にかかわる話が何度も出てきたような気がする。が、それほど宗教的な小説ではなく、ぼくも候補作に選ばれる前から、別の興味があって入手していた。それは、この作品がぼくの好きな「レイクサイド・サーガ」の一つだからだ。
 「レイクサイド・サーガ」とはぼくの造語で、要は映画『黄昏』のような物語のこと。といっても、ローレンス・オリヴィエが出るほうではなく、ヘンリー・フォンダキャサリン・ヘップバーンが共演したほうだ。レイクサイド・サーガの説明については、昔、アマゾンに投稿(その後、削除)した次のレビューを引用しておこう。

The Summer Guest

The Summer Guest

[☆☆☆☆] 英米の小説には、家族の歴史をテーマとするファミリー・サーガというジャンルがある。そのうち特に、ドクトロウの『ルーン・レイク』や映画『黄昏』など、ある時期(夏が多い)、ある湖畔に集まった一家の物語を評者は密かに「レイクサイド・サーガ」と呼んでいるが、本書は数あるレイクサイド・サーガの中でも出色の出来ばえだ。舞台はカナダにほど近いメイン州の湖。そこへ、癌で余命いくばくもない老富豪が、最後の鱒釣りをしようと家族に運ばれてやってくる。本書がみごとなのは、その富豪をはじめ、富豪を迎える釣り場の経営者夫婦など、主な登場人物が複雑に絡み合いながら、それぞれの内面の歴史、とりわけ、愛の喜びと別離の悲しさが切々と綴られている点だ。本編が始まる半世紀前、経営者の亡き父親が湖の美しさに感動するプロローグから、ぐいぐい物語の渦中に引きこまれていく。決して感傷的な筆致ではないのだが、涙腺が弱い人は覚悟して読むべし。 ちなみに、本書は日本のアマゾンで2005年夏の推薦図書に選ばれていた。クローニンには将来、全米図書賞などをぜひ受賞してもらいたいものだ。各登場人物の一人称で交代に語り継がれる形式で、話者によっては、手持ちの大型英和辞書に載っていない口語表現が頻出したが、文脈の解読に困るほどではない。

 ……チャールズ・マーティンの作品に話を戻すと、これは妻を亡くした男の物語だし、死んだ妻も回想シーンに登場するだけなので、厳密にはファミリー・サーガとは言えないが、それでも湖が出てくるので無理やりレイクサイド・サーガに含めておこう。コオロギの鳴き声が聞こえる湖畔の家に一人住む男。ミーハーのぼくは、こんな設定だけですっかり参ってしまった。幼なじみだった妻は心臓病患者で、少年時代の昔、彼女の心臓が悪いと知った主人公は、その心臓を治そうと医者になることを決意する。男はやがて名医として慕われるが、治療の甲斐なく妻は死亡、湖のほとりで隠遁生活を送っていたところへ、同じく心臓を患う少女が現われ…
 と、こんな粗筋を書いていても、二ヵ月前に読んだときの熱い感動がよみがえってくる。しかし、たぶん邦訳は出ないだろう。日本では海外の文芸小説は、映画化された作品か、メジャーな賞の受賞作や候補作ぐらいしか翻訳されない。ぼくもブッカー賞関連のレビューを書いているので大きなことは言えないが、あちらの「埋もれた」秀作佳品に出会うたびに、ひるがえって日本のお寒い出版事情にはがっかりさせられる。
 がっかりついでにもう一つ、やはり隠れたレイクサイド・サーガの秀作について書いておこう。といっても、これも昔のレビューだ。

By the Lake (Vintage International)

By the Lake (Vintage International)

[☆☆☆☆] ヒーリング効果抜群のローカル・ピースで、ロンドンの喧噪を逃れ、アイルランドの湖畔に住みついた中年夫婦の物語。ここでは基本的に事件は何も起こらない。いや、起こることは起こるのだが、それはすべて日常茶飯の出来事で、夫がはじめた牧畜や農作業の風景、村人たちとの交流、村人自身の生活風景、その悲喜こもごもが、ある年の夏から翌年の夏にかけて、四季折々の風物詩を織りまぜながら描かれる。映画『フェリーニのアマルコルド』と同じ構成だ。北アイルランド紛争の影も読みとれるが、それはあくまで影にすぎず、劇的な事件より日常の些事こそ人生なのだと実感させられる。そして、湖をはじめとする美しい自然描写には、心が癒されずにはいられない。咲き乱れる花、野鳥の群れ、湖を吹きわたる風……。退屈に感じる読者もいるかもしれないが、こういう粗筋らしい粗筋のない話で読ませるマクガハンの筆力は大したものだ。評者の知る限り、彼はブッカー賞にノミネートされたことが一度あるようだが、いつかホームランをかっ飛ばしてもらいたいものだ。少なくとも手持ちの大型英和辞書には載っていない口語表現も散見されたが、意味の推測できるものがほとんど。総じて標準的な英語だと思う。なお、"That They May Face The Rising Sun" は本書の英国版なので注意されたし。

 …これは一昨年、ガーディアン紙で1980年から2005年までの25年間の優秀作品が選出されたとき、第8位にランクインしている。http://observer.guardian.co.uk/print/0,,329595606-102280,00.html しかし、その程度では翻訳が出ないのが日本の現状なのだ。こんなにいい小説が売れない、読まれないのは本当に残念だ。