ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

『戦争と平和』の新英訳、Dostoevsky の "The Adolescent" と Tolstoy の "Resurrection"

 遅いニュースだが、10月16日に『戦争と平和』の新しい英訳版が日本でも発売されることになった。これは大いに期待していい。訳者がかの Richard Pevear と Larissa Volokhonsky のコンビだからだ。

 アメリカのアマゾンでは売れ行きがいいようだし、ニューヨーク・タイムズのブログ Paper Cuts(10月12日付)にも本格的な論評の予告が載っている。http://papercuts.blogs.nytimes.com/ 貧乏ひまなしのぼくは、いくら期待できるといっても、今すぐにはこの超大作を読み返す時間はとれそうにないが、老後のために、いずれペイパーバック版が出たときにでも購入しようと思っている。
 未読だが、この夫妻が英訳した『アンナ・カレーニナ』も大変評判になったと聞く。 残念ながら、ぼくは同じ Penguin Classics でも Rosemary Edmonds が訳した旧版でしか読んだことがない。しかし、それでも無我夢中で読みふけったのだから、Pevear たちの訳ならどんなに興奮したことだろう。彼らは90年に出した『カラマーゾフ兄弟』の英訳を皮切りに、一連のドストエフスキーの翻訳で名声を確立したと言える。実際にぼくが読んだのは『未成年』だけだが、従来のロシアやフランスの名作の英訳とは違って、実に新鮮な英語だった。ぼくがこんどの『戦争と平和』の新訳に期待するのも、その印象が今でも強烈に残っているからだ。[☆☆☆☆★] 星4つ半のうち、半分近くはみごとな訳業に進呈。ドストエフスキーにかぎらず、これまで接した19世紀のロシアやフランスの文豪の英訳では、「翻訳英語」とでもいうか、「ごつごつした」印象を受けることがよくあったが、本書は平明な英語でかなり読みやすい。この種の訳本にしては複文が少なく、語彙的にも現代の英米小説とさほど変わらないし、センテンスも比較的短いものが多い。さりとて、大幅に現代化しているわけでもなく、古典の翻訳としての節度を保っていると思う。ロシア語専門家の意見を聞きたいところだ。内容的には、いまさらいうまでもなく、疾風怒濤の青春小説である。激しい感情の吐露、劇的な事件。うぶな若者が恋愛を通じて人生の真実に目覚めるという主筋はけっこうメロドラマで、それゆえ、ドストエフスキーの五大長編のなかでは、いちばん取り組みやすいかもしれない。とはいえ、例によって信仰や政治、社会等にかんする言及が多々あり、ダイグレッションの嵐が吹き荒れている。とりわけ、隣人愛と人類愛を峻別し、後者を自己愛と断じるヴェルシーロフの発言は、『悪霊』や、『カラマーゾフ』における大審問官説話などと同じ文脈にあり、本書がもともと、その二作とあわせて、ひとつの大長編を形成するはずだったという作者の構想をうかがわせて興味ぶかい。

 …これまた昔の投稿レビューだ。小説の内容はともかく、現代英語の諸相を知る上でも貴重な訳だと思う。トルストイに話を戻すと、Pevear たちがまたこの文豪の作品に取り組むとしたら、次は当然、『復活』だろう。ぼくが読んだのは Oxford University Press 版で、かなり古めかしい英語だったような記憶がある。

[☆☆☆☆★] 英語は初学者にとっていい勉強になるほどの難易度。ぜひ挑戦してみるといい。話としては、トルストイ最後の長編だけあって、彼の思想がはっきり読みとれる。つまり、彼は結局、地上の楽園の建設を夢見ていたのではないか。また本書では、主人公ネフリュードフの心理描写に代表されるように、ひとが自分の心のなかに潜むエゴイズムを鋭く意識し、そのことに懊悩する姿を描くという、『幼年時代』以来のトルストイ作品の特徴も端的に示されている。以上、ここにはトルストイのエッセンスが詰まっていて、彼の思想を理解するうえでまことに便利。ただし、『アンナ・カレーニナ』のように面白い物語ではないので、その点は覚悟すべし。

 …というわけで、これも名訳者コンビによる読みやすい英訳版が出るのを期待したい。