いやはや、驚いた。まさか Anne Enright の "The Gathering" がブッカー賞を取るとは!http://www.themanbookerprize.com/news/stories/1004 ぼくは今年も最終候補作をぜんぶ読んだが、その中で一番低く評価していた作品だ。それどころか、9月12日の日記には「昨年のショートリストに残ったどの候補作よりも落ちる」とまで書いている。今でもその評価に変わりはないが、受賞理由をよく読んでみることにしよう。ひょっとしたら、ぼくがアマゾンのレビューに書いた「皮膚感覚的といってもよいほど繊細な筆致」がものを言ったのかもしれない。
とはいえ、ぼくは9月7日の日記に、「"The Gathering"…は、ロングリストの段階から気になっている。オッズの人気は低いが、去年の受賞作、キラン・デサイ "The Inheritance of Loss" もそうだった」と書いている。その予感がみごと(?)的中したわけだ。実は去年もキラン・デサイの名前を見たとたん、もしやと思ったものだが、下馬評の高かったサラ・ウォーターズの "The Night Watch" を読んでいたく気に入り、「本書が栄冠に輝いても何ら不思議ではないと思う」などとレビューに書いてしまった。やはり第一インスピレーションは信じるものだ。
もっとも、去年は受賞発表前に読んだ候補作は二つ、ウォーターズと Kate Grenville のものだけだった。それなのに、なぜキラン・デサイが気になったかというと、彼女がアニタ・デサイの娘で、母親の作品の "Clear Light of Day" に感心した憶えがあったから、というあまり脈絡のない理由による。その「直感」より下馬評に頼ってウォーターズにいれこんでしまったわけだ。(ただし、評価は星4つ)。その後、年末までかかって候補作をぜんぶ読みおえたが、"The Inheritance of Loss" の受賞はきわめて順当だと思った。以下は受賞直後に書いたレビューだ。
今回アン・エンライトの作品が気になったのも、別に深い理由があったわけではなく、向こうの紹介記事を斜め読みした結果と、ペイパーバック版の表紙が印象的だったから、ということに過ぎない。まさに文学ミーハー派の面目躍如である。
[☆☆☆] ぼくは守旧派でもあるので、ストーリー性の弱い小説には点が辛くなる。また、上のレビューにも関連するが、人間を矛盾に満ちた存在として扱わない作家にはあまり関心がない。アン・エンライトが人間性の洞察に欠けるとまでは言わないが、"The Gathering" は「肉親を…亡くしたときの空虚な浮遊感」をベースとして「あやふやなストーリーを背景に、曖昧な印象を羅列している」作品だと今でも思う。その印象を鮮烈な感覚で綴り、詩的なまでに昇華させているなら話はまた別だが、この小説がその水準に達しているとは思わない。上の受賞紹介記事を読むと、エンライトをマードックやバンヴィルにたとえる向きもあるようだが、物語性や人物造型の点ではマードックのほうがはるかに上だし、詩的表現という点では、少なくとも『海に帰る日』には及ばない。[☆☆☆☆] 一読、思わずため息をついてしまった。なんという静謐な世界だろう。たしかに人物は動き、セリフは語られ、書きようによっては悲惨ともなる事件が起こる。それなのに、ほとんどどの場面も、一幅のタブローでも見るような静けさにつつまれている。これはおそらく、本書のテーマが「喪失」であり、その喪失がつねに回想形式で語り伝えられることに関係しているからだろう。海辺で過ごした少年時代の喪失と、老境にさしかかって新たに体験した喪失。そして、そのふたの喪失を結びつけるかのように、いつまでも静かにうねりつづける海。みごとな幕切れである。…これも受賞直後のレビュー。今読むと、多分にご祝儀が入った批評なので赤面してしまうが、それでも、商売根性丸出しながらバンヴィル作品のほうが "The Gathering" よりよく書けていると思う。今年の候補作を改めて思い返しても、去年のキラン・デサイとは異なり、アン・エンライトの受賞にはどうも納得がいかない。が、文学にはいろいろな立場があっていいわけだから、いずれ、素人レビュアーのぼくの目から鱗を落としてくれるような鋭い分析が示されることだろう。その点、アメリカのアマゾンのブログに期待したい。http://www.amazon.com/gp/blog/A287JD9GH3ZKFY/104-0479793-5168747?%5Fencoding=UTF8&cursor=1192821193.07&cursorType=before