ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Joanna Kavenna の "Inglorious"

 ガーディアン紙選定の年間ベスト10にもペイパーバックで読める本がいくつかあり、 http://books.guardian.co.uk/booksoftheyear2007/story/0,,2228843,00.html あと少しで Rupert Thomson の "Death of a Murderer" を読了するところだが、今日は Joanna Kavenna の "Inglorious" について書いておこう。

Inglorious

Inglorious

  • 作者:Kavenna, Joanna
  • 発売日: 2007/06/07
  • メディア: ペーパーバック
[☆☆☆] これほど暗い小説を読むのは久しぶりだ。主人公は母の急死にショックを受けた女。長年勤めた新聞社を退職し、同棲していた恋人とも別れてしまう。絶望や苦悩、徒労感、自己憐憫など、要するに自分を見失った人間の内的独白が綿々と綴られるが、主題も技法も最初の四十ページくらいで確立されたあとは最後まで同じパターン。元カレやその結婚相手、アパートに転がりこんだ先の友人、父親など、相手は違っても女はいつも本音を言えず、悶々としている。そんな自分を正そうと再三再四、行動予定を心の中で、あるいは実際に書き続けるのだが、ほとんど実行しない。街の風景や他人の観察は細密で、そこに予定表や手紙も含めた内的独白がたえず紛れこむ。その心の迷い、内なる彷徨に共感できるかどうかが評価の分かれ目だろう。難易度の高い語彙も散見されるが、英語は総じて読みやすい。

 …一昨年もそうだったが、ガーディアン紙は年間優秀作にブッカー賞コスタ賞の受賞作を選ばず、その候補作やロングリストにもない作品を挙げている。他にも面白い本があるぞと言いたいのかもしれないが、この "Inglorious" はあまり面白くなかった。
 主題は昨年のブッカー賞受賞作、Anne Enright の "The Gathering" や、最近読んだ Jim Harrison の "Returning to Earth" と同じく、肉親の死とその超克。上に書いたように内的独白が中心のスタイルだが、現在の事件を契機にさまざまな回想が切れ目なく混じるエンライトやハリスンの「イメージ連想法」とは異なり、また、ジョイスやフォークナーの「意識の流れ」とも異なり、主人公の思ったことがごく普通に述べられるので分かりやすい。ただ、そのぶん主題の平凡さも見てとりやすくなっている。
 女は独白をはさんで行動予定や手紙を何度も書く。喪失した自己を取り戻そうとするためだが、これはソール・ベローの『ハーツォグ』でおなじみの手法だ。あちらは手紙の宛先がアメリカの大統領やハイデガー、ネール首相などと拡大する結果、人生の危機からの脱出だけでなくアイデンティティの追求というテーマが明確になり、文章にも異様な迫力があったと記憶する。それにひきかえ、"Inglorious" のほうはさほど深い思索には発展せず、陰々滅々、ただもう落ちこんだ女の苦しい胸の内が吐露されるだけ。ぼくは、あとで何か意外な展開がきっとあるに違いないと期待しながら読んでいたのだが、最初からずっと一本調子なので途中で眠くなってしまった。
 たぶん、同じような立場にあるときに読めば、なるほどその通りと惹きこまれるのだろうが、感情移入で評価が分かれるような作品は凡庸である。とにかく主題的にも技法的にも新味に欠けるのが本書の難点だ。さらに言えば、ハリスンのように生と死の絆について考えさせることもなければ、ベローのように人間存在の根底に触れることもない。ここではひたすら主人公の内なる彷徨につきあうしかない。それが僕には難儀だった。