この土日は内職で明け暮れたので本が読めなかった。そこで例によって昔のレビュー。
The Steep Approach to Garbadale
- 作者: Iain Banks
- 出版社/メーカー: Macadam Cage Pub
- 発売日: 2007/10/05
- メディア: ペーパーバック
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…前回は、猟奇的な連続殺人を描いた R. J. Ellory の "A Quiet Belief in Angels" について書いたので、今日はサイコ・スリラーつながりで思い出したイアン・バンクスの話。こじつけもいいところだが、本書の感想は上のレビューに尽きている。そこで、昔読んだ『蜂工場』をだしに駄文を綴ることにしよう。
- 作者: Iain Banks
- 出版社/メーカー: Simon & Schuster
- 発売日: 1998/09/01
- メディア: ペーパーバック
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ぼくは前回、"A Quiet Belief in Angels" を「ミステリとしてはまずまず面白い」と評したが、『蜂工場』よりはずっと面白い作品だ。それどころか、こまぎれに読んだ印象がまとまりつつある現在、あれはかなり「上出来の部類に入る」のではないかとさえ思う。やれ、主人公が過去に縛られすぎている、それ、犯人が異常性格者だ、などと筋違いのイチャモンをつけるべきではなかった…もっとミステリとして楽しむべきだった。
ただし、あえて「文学的」な観点から分析すれば、上記の「欠点」はやはり「ミステリの限界」を示したものだろう。さらに「身も蓋もない話」をすれば、そもそも連続殺人を扱い、事件に巻きこまれた人間の心理を描く意味は何なのか。…そんなことを考えるようでは、とてもミステリなど読んではいられない。ミステリとは、何らかの事件が起こり、それが解決されることを前提とする小説であり、その前提そのものを疑うような読者はお呼びではないからだ。
『蜂工場』に関する疑問も同じである。要はイアン・バンクス、おまえは何を言いたいのか。そう考えると、サイコ・スリラーを書く意味が明確でない以上、『蜂工場』と "A Quiet Belief in Angels" を隔てる距離はさほどないことになる。それどころか、いかにも意味ありげに異常な世界を描いた「純文学作品」より、意味がないことを前提に上質の娯楽を提供した「ミステリ」のほうが、よほどましなのではないだろうか。この結論を導くためには、昔の印象を述べるだけでなく、『蜂工場』を再読し、イアン・バンクスが二流作家かどうかを確かめなければならない。それを怠ったまま書いたこの日記は、まさしく「駄文」に他ならない。
今日も「身も蓋もない話」ばかりになってしまったが、ぼくが『蜂工場』に不満を覚えるのも、"A Quiet Belief in Angels" に「筋違いのイチャモンをつけ」たのも、実は理由がある。ぼくの乏しい読書体験で判断する限り、文学史上最高のサイコ・スリラーと思える、ドストエフスキーの『悪霊』とどうしても比較せざるを得ないからだ。人間の狂気を描いた作品で、あれほどの必然性と説得力を持つものはほかに読んだためしがない。その狂気の正体について書く時間は今はない。ペンギン版の古風な英語はなつかしいが、死ぬまでにぜひ、Richard Pevear, Larissa Volokhonsky 夫妻の英訳で再読したいと思っている。
Demons: A Novel in Three Parts
- 作者: Fyodor Dostoevsky,Larissa Volokhonsky,Richard Pevear
- 出版社/メーカー: Vintage Classics
- 発売日: 1994/09/15
- メディア: ペーパーバック
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