先々週、Abha Dawesar の "That Summer in Paris" を読んでいるうちに思い出した作品の一つ。このところ3日で1冊のペースで新しいレビューを書いていたのだが、さすがにきつくなり、今日は昔のレビューでお茶を濁そう。
- 作者: Claire Messud
- 出版社/メーカー: Mariner Books
- 発売日: 2000/09/01
- メディア: ペーパーバック
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
…シノプシスの斜め読みで、どうやら最初の舞台が南フランスらしいと分かり、それより何より、印象的な表紙に惹かれて買い求めた本。そんなミーハー的な期待をいい意味で裏切り、終盤ほどかなり重厚な作品だったと思う。
森鴎外の『かのやうに』には、主人公秀麿の言葉としてこんな一節がある。
「自由だの、霊魂不滅だの、義務だのは存在しない。その無いものを有るかのやうに考へなくては、倫理は成り立たない。理想と云つてゐるものはそれだ。…どんな哲学者も、近世になつては大抵世界を相待に見て、絶待の存在しないことを認めてはゐるが、それでも絶待があるかのやうに考へてゐる。…かのやうにがなくては、学問もなければ、藝術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのやうにを中心にしてゐる。」
つまり、西洋人は絶対的な価値を信じられなくなった近代でも、依然としてそれが「有るかのやうに」振る舞っているというわけだが、その真偽はさておき、この主張の先で秀麿が、そして恐らく鴎外が言いたかったことはこうだ。…それなら、元から絶対的な価値を信じない日本人はなおのこと、人生に何か重大な価値が「有るかのやうに」考えなければ生きていけないだろう。
今ここでこの問題における彼我の差を論じる余裕はないが、面白いことに、Claire Messud の "The Last Life" にも、人生「かのやうに」論が出てくる。昨今の対テロ戦争を見ても、絶対的な正義を唱える西洋人の「絶対志向」はさほど昔と変わらないような気もするけれど、少なくとも、人生「かのやうに」論が活字になるほどには、もはや「西洋人は絶対的な価値を信じられなくなった」のかもしれない。
Claire Messud はその後、06年のブッカー賞のロングリストにも選ばれた "The Emperor's Children" を発表している。ぼくは未読だが、そこでもやはり人生「かのやうに」論その他の論究があるようなら、Messud は現代文学では珍しく思索型の作家と言えるかもしれない。