ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Julio Cortazar の “Hopscotch”(1)

 海外文学にハマってから3年前までは、夏になるとラテンアメリカ文学の作品も英語で読むことにしていた。ラテアメ文学となるとぼくはまったくの門外漢で、六〇年代に国際的なブームが起こったことも以前は知らなかったので、当然リアルタイムでは読んでいない。かろうじて唯一同じ時代に読んだと言えるのは、今年ペイパーバックが出た Roberto Bolano の "The Savage Detectives" だろうか。しかしそれも英訳レヴェルの話であり、同書は98年の作品だ。http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080405/p1
 エクセルで記録している既読リストを見ると、ガルシア・マルケスの "One Hundred Years of Solitude" を読んだのがラテアメ文学追っかけの始まりで、以下、同じくマルケスの "The Autumn of the Patriarch" と "Love in the Time of Cholera" http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080430/p1, ドノソの "The Obscene Bird of Night" あたりが今までの「戦績」。まことにお恥ずかしい限りだ。
 あと一つだけ英語で読んだのがコルタサルの『石蹴り遊び』である。以下は3年前、「コラージュによる文学実験」と題してアマゾンに投稿し、その後削除したレビュー。

[☆☆☆☆★] 星4つ半は第一部のパリ篇に進呈。第二部は星4つ、第三部は星3つ。とそんな評価は、コラージュふうの断片的ストーリーを合成して、一種の文学的実験を試みた作者の意図に反するかもしれない。が、一読して、南米からパリに出てきた「お上りさん」の恋愛物語を描いた第一部が最もわかりやすく、かつ面白いのは当然の結果だろう。第二部では、別れた恋人への想いがひしひしと伝わってきて、これも忘れがたい読後感を与える。問題なのは第三部で、作者としては、あるいはここが最大の「売り」かもしれないし、これによって本書はメタフィクションとしての価値を増すのかもしれない。が、正直いって、最後まで読み通すのは苦痛だった。そんな読者もいることを想定した作者の意図はみごとに成功!?

 …前回のカルロス・フェンテスの続きを書こうと思ったのに、ぼくの貧弱なラテアメ文学体験記になってしまった。今日はこれでおしまい。