ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Dostoyevsky の “The Idiot”(2)

 やっと田舎から帰ってきた。帰省中にトーマス・マンを読もうと思ったのだが、意外に過密スケジュールで完読できなかったので、今日は『白痴』の続きでも。
 第1部の第9章で大笑いした箇所がある。飲んだくれの老将軍が絶世の美女ナスターシャ・フィリッポヴナの前にしゃしゃり出て、昔自分が遭遇した愉快な事件を物語るのだが、あれっ、それとまったく同じ事件の記事をつい最近、新聞で読みましたけど、という話。その語り口がとてもおかしくて、つい噴きだしてしまった。
 このエピソードには記憶がなかったので、若い頃に「試読」したときは、おそらくここまで到達しなかったに違いない。昔の挫折をふりかえれば、やはり古典を読むときは、いくら敷居が高くても、ある程度我慢して先へ進まないと本当のよさを知らずに終わってしまう、ということだろう。
 そんな喜劇的要素も多い『白痴』だが、いちばん大きなテーマは、何と言っても「善の悲劇、美の不幸」だろう。ぼくは前々回のレビューで、「善人が善人であるがゆえにトラブルに巻きこまれ、悲劇を招く。その点、本質的にはキリストの悲劇に通じるものがある」と書いたが、あまりにも陳腐なコメントだ。昔読んだきり内容を忘れてしまったベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』あたりに、詳細な分析が載っていそうな気がする。が、再読する気力も時間もない。
 ちなみに、ドストエフスキーの研究書でぼくがいちばん感心した憶えがあるのは、拾い読みだが、ジョージ・スタイナーの『トルストイドストエフスキーか』。

Tolstoy or Dostoevsky: An Essay in the Old Criticism, Second Edition

Tolstoy or Dostoevsky: An Essay in the Old Criticism, Second Edition

 二人の巨人の思想を見事に解明した、定番中の定番評論である。いつかじっくり読もうと思っているのだが、何しろ積ん読の小説が山ほどあるので、果たして死ぬまでに読めるかどうか。
 「善の悲劇」に話を戻すと、「神ならぬ人間の立場としては、主人公ムイシュキンほどの善人はまず考えられない」。その完全に近い善人が同時に idiot のレッテルを貼られ、悲劇に巻きこまれたあげく、最後には発狂してしまう。聖書のパロディーではないが、この世では善が実現しがたいという意味で、「本質的にはキリストの悲劇に通じるものがある」。パロディーの手法を採らずに「善の悲劇」を描いたドストエフスキーは、やはり天才と言うしかない。