ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Thomas Mann の “Confessions of Felix Krull, Confidence Man”(結び)

 Thomas Mann の "Confessions of Felix Krull, Confidence Man" を読みはじめたとき、前回紹介したような背景知識がほとんどなく、これが1954年の作品ということだけ知っていたぼくは、じつは、ある予断を持っていた。ここで告白をする詐欺師とは、ひょっとしたらヒトラーのことではないか、と。
 で、最初はその証拠を見つけようと、かなり時間をかけて字面の奥にある意味を考えていたのだが、結局、ぼくの「予断」がとんでもない見込み違いであったことは言うまでもない。少なくとも、完成された部分から判断する限り、本書をドイツ国民の精神史という観点からとらえるのは的外れだと分かったのだ。
 しかし考えてみれば、昨年12月2日の日記にも書いたように、「ナチズム発生の原因を祖国の精神文化に求め」たトーマス・マンが、ヒトラーを単なるトリックスターとして片づけていたはずはない。ヒトラートリックスターとしての犯罪意識ではなく、危険だが信奉者には魅力的な世界観を持っていたことは誰の目にも明らかだからだ。
 というわけで、本書を読んでいる途中から方向転換し、もっと気軽に「字面」だけ楽しむようにしたら、これがけっこう面白い。存在と無に関する哲学論なども出てくるので、決して「手すさび」とは言えないが、それでもトーマス・マン自身が楽しみながら書いたのではないかと思えるほど、小説家としての至芸も堪能できた。侯爵になりすました主人公が侯爵の母とかわす手紙などが一例である。
 本書に「陽気なピカレスク・ロマンもどき」以上の意味があるのかどうか、それはぼくには分からない。しかし、そんな意味がなくてもべつにかまわない。偉大な「国民作家」が祖国の精神史、精神文化について思索を深める一方、「小説家としての至芸」を発揮すべく、半世紀近い中断を経てロマンを書きつづけた。そのことだけで充分なような気がする。
 トーマス・マンの長編は、ほかに "Joseph and His Brothers" を読み残しているが、まだペイパーバック化されていないようだ。将来安く買えるようになったら、いつか取り組もうと思っている。

Joseph And His Brothers (Everyman's Library Contemporar)

Joseph And His Brothers (Everyman's Library Contemporar)