ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Aravind Adiga の "The White Tiger"(4)

 "The White Tiger" になぜ「拍子抜けした」のか、また、"The Gathering" がなぜ深みに欠けるのか。その理由は簡単で、06年にブッカー賞を取った "The Inheritance of Loss" と比較してみればすぐに分かる。
 この小説でぼくがいちばん感心したのは、各人の喜怒哀楽がしっかり書きこまれているだけでなく、主な人物の心中の葛藤を通じて、コロニアリズムをはじめとするインドのさまざまな「負の遺産」、「歴史的矛盾」が浮かびあがってくる点である。「血も涙もある人間」の哀感や苦悩を描きつつ、同時に、それが「近代の宿命」という国家や民族の問題を反映している。この、個人の問題から発展して個人を超えつつむ問題を、かすかな希望のうちに締めくくっている点がまたすごい。
 では、去年の受賞作、"The Gathering" はどうか。"The Inheritance of Loss" との差は一目瞭然で、要は、肉親の訃報に接した人間「の胸に去来するさまざまな思い出が、断片的かつ連鎖的に綴られる」だけ。つまり、ここにあるのはすべて個人の感傷に過ぎない。それが「皮膚感覚的といってもよいほど繊細な筆致」で描かれるので、あるいは深みがあるように感じられるかもしれないが、そういう立場の人でも、ここでは個人の問題しか扱われていないことは認めざるを得ないだろう。しかも、「コアになるべき物語があまりにも希薄な」ので退屈この上ない。
 これに較べ、"The White Tiger" は、核になるストーリーが確立されている点だけでも "The Gathering" より優れている。ネタばらしになるが、わりと早い段階で主人公が雇い主を殺害したことが告白され、それが読者の興味をぐっと惹きつける。ではサクセス・ストーリーかと思いきや、実際は召使いとしての苦労話が大半で、その「こっけいでもあり哀れでもある」姿を描いた各エピソードは、「真情のこもったファース」として楽しめる。また、社会の裏面と、そこで生きる人々の喜怒哀楽も生々しい。
 だが、"The Inheritance of Loss" のように、「個人の問題から発展して個人を超えつつむ問題」まで描かれているかというと多少怪しい。たしかに、「民主主義や近代化とは名ばかりで、今なおカースト制が絶対的な効力を持つインド社会の実態」は浮かびあがってくる。けれども、その「カースト制の打破が不可能というメッセージ」は「間接話法」によって伝えられているので、それを「メッセージ」と思わない読者もいるのではないだろうか。
 結局、ぼくが "The White Tiger" を読んで「いささか拍子抜けした」のは、「ひとひとつのエピソードはけっこう面白い」し、各人の心情もリアルに表現されているのに、それが同時に「個人を超えつつむ問題」にまで発展する度合いが "The Inheritance of Loss" ほど明確ではないからだ。要は、良質の「直接話法」と「間接話法」の差ということである。
 …これで「結び」にしようと思ったが、風呂に入っているうちに、「拍子抜けした」理由にあとひとつ、もっと重要な問題があることを思い出した。それはまた後日。