ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Tatiana de Rosnay の "Sarah's Key"(4)

 たしかに過去のナチス物、 ホロコースト物と較べて、「感動の大きさという点では、本書も遜色はない」。だが、ここでその「感動」の本質について考えてみたい。
 この本を読んでいていくつか胸を打たれた箇所がある。まず、幼い娘がユダヤ人狩りに遭い、やむなく弟と離ればなれになってしまったところ。本書のタイトルにもつながる重要なエピソードなのでネタばらしは控えるが、とにかく、両親も含めて離別がもたらす悲しさには胸をえぐられる思いがする。
 次に、4千人にも上る2歳から12歳までのユダヤ人の子供が集められ、アウシュヴィッツへ移送されたあげく、大人の場合と違っていっさい「選別」されることなく、そのままガス室に送りこまれてしまったという慄然たる事実。親と引き裂かれる場面や、列車に乗せられるところなど目の前が暗くなってしまう。
 それから何と言っても、「真実を知った後世の人間の苦悩」。ネタばらしにならない程度に書くと、女性記者はユダヤ人狩りを調べていくうちに当然、悲劇の主人公である少女の子孫と出会うことになる。その出会いが掛け値なしに感動的で、涙腺の弱いぼくは、通勤電車の中ではなく、たまたま書斎で読んでいたので本当に助かった。
 ざっとまあ、以上のような点に胸を打たれるのだが、落ち着いて考えてみると、これは結局、ホロコースト物を読む前から予想できる内容であり、その「感動」にはどうしても「想定内感覚」がつきまとってしまう。むろん、フランス人にもユダヤ人への差別意識があったという話や、家庭小説をミックスさせている点などは、お決まりの「パターンを少し破っている」。が、大幅に破るものではない。
 結局、本書の与える「感動」とは、「胸をえぐられる思い」、つまり情緒的な感動である。それが得られるだけでも充分満足できるのだが、ぼくはこういう小説をときどき読むたびに思うのだ。もっとほかのアプローチはないのだろうか、と。