第1部は「普通のリアリズム」主体だったが、第2部に入ると「フィクションによる現実の浸食」が始まる。むろん第1部でも、登場人物の見た夢の中の物語や想像した光景が紹介されたり、出会った相手の体験談が語られたりする。この劇中劇形式のダイグレッションは本書の特徴のひとつで、それぞれのエピソードにどこまで意味があるかは分からないが、寄り道がいっさいなければ単調この上ないことはたしか。逸話集として楽しんでいる。そのうち、夢の話にシュールなものが多く、それを読んでいるあいだは当然、現実から遊離する。その遊離感覚が第2部で広がってくるのだ。
このパートの主人公は、第1部でも登場したサンタテレサ在住の大学教授。ほかにも何人か同じ人物が顔を出すが、同じエピソードはひとつだけで、第1部の4人の学者や謎の作家 Archimboldi は出てこない。つまりほぼ完全に別の物語となっている。
最初は教授の妻が主役で、この妻が出奔。精神病院で療養中の詩人に面会を求める話が妻の手紙や教授の回想で続く。これも一種の劇中劇で、とりわけ妻が詩人との関係を空想するあたりが現実離れしている。
この長大なイントロが終わり、教授の現在の生活が紹介されるところから、にわかに現実が揺らぎだす。まず彼は洗濯物の張り綱に四六時中、幾何学の専門書をつるしている。これが唯一、第1部と重複する話で、理由はいちおう説明されるのだが論理が飛躍。風に揺られる本の様子を読んでいると、現実そのものが揺れているような印象を受ける。
これに加え、教授は夜中に不思議な声を聞き、死んだ祖父を名乗るその声と話をするのだから、これはもうマジック・リアリズムの世界と言っていいだろう。夢の物語や想像上の光景も相変わらず出てくるし、教授の母国、チリの歴史を綴った本が紹介されたかと思うと、その内容はすべて偽物かもしれないという。不可思議な逸話集ならではの「フィクションによる現実の浸食」である。