ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"2666" Part 1 雑感(4)

 やっと第3部を読みおえた。これで第1分冊が終わり、分量的には全体の3分の1を超えたことになるが、テーマはまだよく分からない。これはひとつには、今のところ、それぞれの章がほぼ独立した物語になっていることにもよる。
 第3部の主人公は、ニューヨークの黒人向け雑誌社で働く黒人記者。その母親が死んだところから物語は始まる。葬儀の模様など感情を抑えた筆致で、何やらハードボイルド小説のおもむきさえある。Roberto Bolano は物故作家だが、ミステリも書けたのではないかと思ったほどだ。
 やがて記者は、黒人説教師の話を取材にデトロイトに飛ぶ。説教師は元ブラック・パンサーのメンバーで、組織の設立当時の回想も出てくるが、「圧巻」は説教そのものだろう。正直言ってあまり面白くないし、全体の中でどんな意味があるのかも不明だが、何しろ饒舌で、ラテンアメリカ文学ならではの醍醐味が味わえる。
 ここまでがイントロで、記者はボクシングの試合の取材のために、今度はメキシコのサンタテレサに飛ぶ。つまり第1部および第2部との接点が生まれるわけで、事実、終幕では第2部にも登場した大学教授とその娘が顔を出し、教授が幾何の本を洗濯物の張り綱につるしている例の話もさりげなく繰り返される。
 試合そのものはあっけないが、前後のエピソードはかなり面白い。試合が始まるまではノンフィクション・タッチで、試合後は一転、恋愛小説じみてくる。それを基調として、記者が誰かと出会うたびに会話はもちろん、相手自身の思い出話などが必ず紹介される。同じ飛行機に乗り合わせた客、立ち寄った店のバーテン、ウェイトレス…。ほかの作家なら当然省略しそうな場面でも、ロベルト・ボラーニョは本筋同様、つぶさに描いていく。これは本章のイントロでも、いや、そもそも第1部からそうなので、もしかしたら彼は、小さなエピソードの集合、些事の連続が人生なのだと言いたいのかもしれない。
 そういう細かい事実の積み重ねは「普通のリアリズム」そのもので、そこに他人の回想や例によって夢の中の物語、想像した光景という劇中劇が混じる。とりわけ、上述の教授の娘が登場するあたりから、視点が何度も変わって話の流れが入り組んでくる。映画評論あり、ラブストーリーあり、そのモザイク模様がとても面白い。
 モザイクのひとつはサンタテレサで発生している大量殺人事件で、刑務所にいるその容疑者との面会シーンが最後のエピソードだが、これは中途半端な終わり方なので、きっと先のほうで続きがあるはずだ。容疑者はドイツ語の歌を唄う大男。ひょっとしたら、この男が第1部に出てきたドイツの謎のノーベル賞候補作家、Benno von Archimboldi なのかも?