ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"2666" Part 2 雑感(3)

 ようやく第2分冊を読みおえた。次の第3分冊、第5章のタイトルは "The Part about Archimboldi" とあり、どうやら第1部に登場した謎のドイツ人作家の話に戻るようなので、第4章のクライム・ノヴェル編はひとまず終了したものと思われる。
 ぼくは前回の雑感で、この章は「『羊たちの沈黙』や『検屍官』のようなサイコスリラーとは異なり、犯人は誰かという興味はあまり湧かない。むしろ、これほど多くの女性が次々に殺されていく物語で作者 Roberto Bolano はいったい何を言おうとしているのか、そちらのほうが気になってくる。これもはたして人間の、人生の諸相をいろいろなアプローチで描き出そうとしている一環なのか」と書いたが、読了後の今も、この感想はおおむね変わらない。
 主筋は最後まで、メキシコのサンタテレサで発生した連続殺人事件。ローティーンの少女も含め、おびただしい数に上る女性が次々に惨殺される。中には夫や恋人などが犯行を自供した事件もあるが、ほとんどは迷宮入り。被害者や死体発見現場に関する記録がドキュメンタリー・タッチで綴られていく。
 この縦糸にさまざまな横糸が入り混じる。とりわけ後半、犯人らしきドイツ人が逮捕、収監されてからは、この「犯人」を取り巻く囚人たちを始め、前半には登場しなかった、あるいは登場の機会が少なかった人物たちがにわかに「活躍」をはじめ、複数の視点がますます錯綜して尻上がりに面白くなる。
 ミステリ小説に近い内容なので詳しいネタばらしは控えたいが、収監された「犯人」が無罪を訴え、事実、収監後もおぞましい犯行がどんどん続くことくらいは書いてもいいだろう。で、「複数の視点がますます錯綜し」た結果、ジグソーパズルでも解くように事件の全貌が次第に見えてくる。パズルのピースがぜんぶ与えられるわけではないが、それでも全体像は読める。
 ただし、まだ第3分冊が残っているので何とも言えないが、この第4章を読むかぎり、連続殺人事件の真相が「人間の、人生の諸相」のひとつなのかどうかはかなり怪しい。たしかに現象として存在する事実ではあるけれど、それが人生の根本問題とかかわりがあるとはどうも思えない。とすれば、Roberto Bolano の意図はどこにあるのか、あと3分の1を読みながら少しずつ考えてみよう。