ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Roberto Bolano の "2666"(3)

 本書の「あとがき」を読んでさらに分かったのだが、"2666" という題名の意味はぼくだけでなく、誰にとっても謎のようである。何しろボケ気味のぼくのこと、うっかりヒントを見落としたのかと案じていたが、そうではないと知りホッとした。
 「あとがき」の筆者によれば、"2666" とは「この小説の異なる各部がぴたりと符合する vanishing point 消失点」であるという。またロベルト・ボラーニョ自身、この小説には「物理的な中心とおぼしきものの下に隠された秘密の中心が存在する」というメモを残していたらしい。が、その「秘密の中心」が "2666" の意味を表わすものかどうかは不明…ここでぼくは「あとがき」を読むのをやめてしまった。
 ひょっとしたらボラーニョは、本書の各部を帰納的に連結し、ひとつの共通したテーマを象徴するSF的な物語を頭に描いていたのかもしれない。ともあれ、少なくとも現存するテキストから判断するかぎり、ここでは「人生の各局面、人間の諸要素がありのままに、理屈ぬきに提示され」ている。形式的にも、歴史小説、恋愛小説、幻想小説、夢物語、ハードボイルド、クライム・ストーリー、SF、ノンフィクション、ドキュメンタリーなど、「思いつくままに挙げても目が回りそうだし、主役と端役が交わす会話や端役の回想なども含めれば、出てきた人物の数だけ種類の異なる物語があると言ってもいい」。煎じつめるとボラーニョは、それぞれの人生の諸相を描くのに最もふさわしいスタイルを選択しながら執筆していたのではないかという気がする。マジック・リアリズムもその例外ではない。
 もちろん、ボラーニョが本書でふれなかった問題も多々ある。たとえばドストエフスキーメルヴィルの作品を思い浮かべれば、それは即座に納得できることだろう。だが、「生きた人間の生々しい姿」をそっくりそのまま提示するという意味で、本書が「さまざまな人間模様の総絵巻」となっていることだけは疑う余地がない。
 周知のとおりこの "2666" は、今月12日に発表される全米書評家(批評家)協会賞にノミネートされている。念のため、Elizabeth Strout の "Olive Kitteridge" だけは入手したが、それも含めてほかの候補作はすべて未読。しかしながら、本書が栄冠に輝くことはほぼ間違いないだろう。(了)