ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Forgotten Garden" 雑感(3)

 案の定、胃カメラを飲んだショックで本は読めなかった。飲む前は不安でたまらず、飲んだあとは…。もう3回目なのに、ちっとも馴れない。今思い出しただけでもぞっとする。まったく、年は取りたくないもんだ。
 というわけで、今日は昨日まで読んだ範囲で雑感を続けよう。とにかく舞台は最高。迷路を抜け、四方を壁に囲まれた庭に足を踏み入れたところで老婦人が昔を思い出す。あ、ここはたしか娘のころに来たことがある…。自分の出生の秘密を探ろうとする老婦人にとって、その庭は重要な鍵となる場所だったのだ。
 ぼくにも少しだけ似たような思い出がある。もちろんこの老婦人と違って、親に置き去りにされた経験はない(はずだ)が、昨日も書いたとおり、ぼくは子供のころ、伯母の家の近くにあった寺の墓地でよくセミを捕った。寺の裏は三方を山に囲まれ、一方だけひらけているが、その一方には墓しかない。今でも帰省してそこにひとりたたずむと、セミの鳴き声がいつも聞こえてくる。ふと松林のたたずまいに見入ったときの不思議な思いがよみがえってくる。この "The Forgotten Garden" に出てくる庭も、そんなノスタルジーに満ちた異次元の世界なのだ。
 技術的にもすばらしい作品である。足かけ百年にわたる家族の歴史を編年体ではなく、若い娘時代、老婦人になってからの時代、さらに孫娘の時代と、各場面を鮮やかに切り換え、またそれぞれの時代でも登場人物の視点をうまく使い分けながら語り継ぎ、娘=老婦人の出生の秘密を少しずつ解明していく。さらには、その秘密を象徴するようなおとぎ話を挿入するなど、まさに絶妙の話芸と言うしかない。書中、おとぎ話の紹介に 'power of stories' という言葉が出てくるが、これは本書全体を評するのにもぴったりだ。
 さらにまた、おとぎ話にふれて 'stock character types' という表現も出てくるが、ひょっとしたら作者 Kate Morton は、本書の登場人物もそう受け取られることを懸念しているのかもしれない。たしかにその要素はある。が気にならない。凄まじい「物語のパワー」にただただ圧倒されてしまうからだ。