今日も昼間の激務で眠かったが、何とか2話だけさらに読み進んだ。まだ途中なので断定はできないが、ピューリッツァー賞の受賞作としては、これは05年の "Gilead" (Marilynne Robinson http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080224/p1) 以来、久しぶりに人情の機微をじっくり描いた見事な作品なのではないか。去年の "The Brief Wondrous Life of Oscar Wao" (Junot Diaz http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080227/p1) ほどスケールの大きい作品ではないが、芸術的には本書のほうが上だと思うし、意外と底の浅い "The Road" (Cormac McCarthy http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20081013) や "March" (Geraldine Brooks http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20071122) より優れた作品であることもたしかなようだ。
4つ目の "A Little Bursts" を読みながら3つ目の "The Piano Player" を思い出し、そこで初めて気がついたのだが、今まで読んだ本書中の「短編」は、自分でまとめた粗筋だけ読むと、じつに他愛もない話というか日常茶飯事というか、とにかく人生の重大な問題を深く追求するようなものではない。バーのピアノ弾きの女が長年つき合っていた不倫相手に別れを告げる(The Piano Player)。息子が結婚し、その宴の席で喧噪に耐え切れなくなった Olive が、母親として息子のことを新婦以上に理解していることを証明しようとする(A Little Bursts)。
ところが、そんな粗筋からはとても想像できないほど深い感情がここには詰まっている。4編目は Olive Kitteridge が初めて主役を演じる話だが、息子や今までの生活のことなどを振り返る彼女の胸の内には、さまざまな思いが去来する。第1話では「毒舌家で気性が激し」かった Olive なのに、ここでは過敏とも言えるほど繊細な感情の持ち主として描かれる。短編としての出来はさほどでもないが、その細やかな心の移ろいはただごとではない。3つ目の話も最初「の2編ほどの出来ではない」が、最後のほうを読み直しただけでも、そこには万感の思いがこめられていることが分かる。
今日読んだ話でぼくが感動したのは、5編目の "Starving"。2つ目の "Incoming Tide" に出てきた Kevin という男の父親が主人公で、Olive は再び脇役にまわっている。簡単に言ってしまえばこれも不倫話だが、どろどろした感情はいっさい見受けられず、むしろ純粋な愛情に主人公が目ざめるところが爽やかなほど。シチュエーションは異なるが、ルイ・マル監督の『恋人たち』を思い出した。
第1話から大急ぎで振り返ると、どの話にも静かな筆致で深い悲しみが描かれているが、それと同時に、純粋な生の充足を求めようとする願いも示されている。その二つが本書における凝縮された感情の本質であるようだ。