ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Northern Clemency" 雑感(11)

 時間が取れれば、何とかあと1日で読みおわりそうなところまで漕ぎつけた。(ハアハア)。「錯綜、また錯綜!」と連日悩まされた本書だが、さすがに結末が見えてきたような気がする。と同時に、この作品の本質もちらついてきた。
 これだけ長大な小説の場合、副筋が何本もあるのは当然だが、通常は物語全体の骨格をなす主筋が強烈な求心力を発揮する。それが伝統的な技法だ。ぼくは当初、その求心力を期待し、いわば物語そのものにドライヴされるような展開を予想していたのだが、主婦のつかのまの情事に代表されるように、ときおり大事件は起きるものの、それが「強烈な求心力を発揮する」ところまでは行かない。むろん、年月を経て後日談が語られることはある。が、その流れは「物語全体の骨格をなす主筋」たりえていない。
 ぼくは昨日の雑感で、「ある時期における典型的な事件を語り継ぎながら、そのときどきの家族関係や各人の心理状態などを描くのが本書の主眼」かもしれないと書いたが、これは言い換えれば、本書の特徴は求心力よりも遠心力にあるのでは、ということになる。すなわち、二つの家族のメンバーが交代で主役をつとめながら、たとえば子供の場合なら、少年や少女時代のエピソードに続き、大人になってからの物語が語られる。当然、そこにはさまざまな出会いがあり、その出会いの輪がどんどん広がっていく。
 …とはいえ、今までの予想はことごとく外れっぱなしなので、このような読みも見当違いかもしれない。一方の家族の母親が脳出血で倒れたのを機に、長らくオーストラリアに移り住んでいる娘と、彼女にその昔あこがれていた隣家の息子がどうやら再会し、最後に一気に盛り上がりそうな気配もある。それが求心力のたまものなのか、それとも遠心力の作用なのか。そのあたりをじっくり見極めようと思っている。