ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

07年ブッカー賞最終候補作「面白度」ランキング(Man Booker Prize 2007 shortlist)

 昨日の続きで、今度は一昨年のブッカー賞のショートリストに残った6作品の「格付け遊び」をしてみることにした。この年は発表前に全候補作を読了。"Mister Pip" を本命に推したが大外れ。今ふりかえると、"Darkmans" のほうに魅力を感じる。いつの日記に感想を書いたのか探すのが面倒くさいので、当時アマゾンに投稿して削除したレビューをみたびコピーしておこう。それにしても、Anne Enright の受賞にはいまだに納得できない。あんな退屈な小説は二度と読みたくない。
1."Darkmans" Nicola Barker

Darkmans

Darkmans

 幕切れ近くで「人生は偶然の連続」という言葉を目にしたとき、ああやっぱり、と思った。というのも、最初はいつもどおり、話の本筋は?作者の意図は?と考えながら読んでいたのだが、突飛な行動に走る人物が次々に登場し、何だかヘンテコな事件ばかり起こるので下手な詮索を諦め、各シークエンスを追いかけることだけに専念した。するとこれが無類に面白い。イギリスの小さな町を舞台に展開される狂騒劇、ドタバタ喜劇。何度か思わず吹きだしてしまったが、その一方、情感あふれる男と女の場面もあれば、シュールな幻想小説というかオカルトというか、夢の中のような不条理な事件も起こる。脈絡はあるようでない。いや、あることはあるのだが、躍動感に満ちた饒舌な文体とあいまって、とにかく奇想天外な面白さに圧倒されてしまう。あまりに長くて消化不良を起こすのが玉に瑕だが、偶然の連続、オフビートな日常こそ人生なのだというテーマからふりかえれば、一見何の意味もないような事件も確かな計算のもとに配列されていたことになり、まさに脱帽ものである。英語は難解というほどではないが、口語俗語表現が多く、語彙レヴェルは高い。

2."Mister Pip" Lloyd Jones

Mister Pip

Mister Pip

 かなり面白かった。読みどころはまず、現実と虚構の混淆(厳密には混同ないし混用)が見られ、それが物語の主軸になっている点だろう。といっても、ここにあるのはラテアメ文学のマジック・リアリズムのような異次元の世界ではないし、実験的なメタフィクションでもない。時間も場所も伝統的技法に即して処理され、あくまでも現実の地平に立っている。それなのに、南の島でディケンズの『大いなる遺産』が朗読され、語る者も聞く者も、その周囲の者も、同書の主人公ピップとの接触によって人生が激変する。こんな形で虚構が現実にインパクトを与える過程を描いた虚構も、他にちょっと例がないのではないか。最初は普通の話に思えるかもしれないが、そこで綴られるエピソードも後で重要な意味をもつことが分かる。途中、前述の混淆がとんでもない結果をもたらすあたりから迫力が加速度的に増し、終盤は息もつかせないほど激しい展開。一気に読んだ後、人間とは何なのだろうと、しばし考えてしまった。その問題をもっと追求して欲しかったが、それは評者の勝手な注文かもしれない。英語は二級から準一級くらいで読みやすい。

3."Animal's People" Indra Sinha

Animal's People

Animal's People

 テーマ的には一種の告発小説だが、その主張もさることながら、複雑な語りの構造と白熱したパワフルな文体のおかげで一気に読んでしまった。インドの化学工場で起きた事故で数千人の住民が死亡、いまだに後遺症に苦しむ患者が大勢いるという実際の事件を題材にしたものだが、安手のヒューマニズムや正義感に頼ることなく、何よりもまず、芸術作品として仕上がっている点に好感がもてる。有毒ガスの影響で背骨が曲がり、四つ足で歩く「動物」となった青年の回想を中心に、激しく吹き荒れる感情の嵐。苦痛と絶望、悲哀、不正への怒り、さらには異性への憧憬、性欲、自己嫌悪。告発小説と言ったが、青春小説と言える要素もあり、そうしたもろもろの情念が、たとえば「死体との会話」や終盤の幻想的な場面などのように、ときに時空を超越したマジック・リアリズムへと傾斜しながら表出される。その語り口の変化の妙と、対立する人々の緊張関係の描写。それが本書を荒削りながら芸術作品たらしめているものだ。英語はとにかく力あふれる独特の文体で、フランス語が混じるなど、難易度は比較的高い。

4."On Chesil Beach" Ian McEwan

On Chesil Beach

On Chesil Beach

 最近は流麗な筆致でテンポのいい長編を書いていたイアン・マッキュアン(という表記が正しいらしい)だが、本書は久しぶりに緻密な心理描写でじっくり読ませる作品だ。筋立ての面白さが売り物の大長編が多いなか、こういう小ぶりの心理小説に接すると実に新鮮で、星を1つおまけした。マッキュアン最上の出来とは思わないし、愛し合う者同士の断絶、男の欲望と女の自立心という主題も目新しいものではない。が、平凡な題材をこれほど手際よく処理し、読みごたえのある作品に仕上げる手腕はやはり大したものだ。たとえば冒頭、時代を伏せたまま醸し出される典雅な雰囲気。やがて新婚初夜に忍び寄る不安の影。そして何より、複雑精妙に織りなされる心のひだ。時に詩的なまでに純化される内面の描写がとてもいい。愛の断絶と言っても、たとえばロレンスの作品のように、火花が散るような魂と魂の激突があるわけではない。それゆえ深みには欠けるのだが、本来なら存在の根底にかかわる問題を扱って表面をなぞるだけで終わるというのは、現代の作家の通弊かもしれない。例によって才気あふれる文体ながら、英語の難易度は普通。電車の中でも充分に楽しめるだろう。

5."The Reluctant Fundamentalist" Mohsin Hamid

The Reluctant Fundamentalist

The Reluctant Fundamentalist

 書中、『ノルウェイの森』に近い内容があり、これはなかなか読みごたえがあった。恋人に死なれ、精神的に衰弱した女を愛してしまった男。その切ない思いには胸を打たれるが、二人以外に緑やレイコさんに相当する魅力的な人物が登場しないなど、村上作品よりは落ちる。女が昔の傷を思い出す契機がNYテロ事件で、同事件後、在米アラブ人が体験しているものと思われるジレンマ、すなわち、祖国や民族の存亡の危機に際し、合衆国で文明生活を享受しているという矛盾が本書のテーマだ。主人公はパキスタン人で、アラブ系ではないのだが、こうした世界的な政治情勢に前述の女の問題をからめることによって小説としてのふくらみが増している。活き活きした文体にも好感がもてる。が、生硬な主張も見られ、完全には熟していない。あの事件が小説の中で説得力を有するには、まだまだ時間がかかりそうだ。英語は準一級程度で読みやすい。

6."The Gathering" Anne Enright

The Gathering (Man Booker Prize)

The Gathering (Man Booker Prize)

 主題はずばり、肉親をはじめ、最愛の人間を亡くしたときの空虚な浮遊感。兄の訃報を聞いた女性の胸に去来するさまざまな思い出が、断片的かつ連鎖的に綴られる。その回想は祖父母や両親、兄弟姉妹、元恋人などに及び、そこに夫や子供たちと暮らす日常生活の話がからむ。ストーリーらしいストーリーはなく、皮膚感覚的といってもよいほど繊細な筆致で心に残った場面が描かれるだけ。別に目新しいスタイルではないが、こんな技法に馴れていない読者は戸惑うだろう。その印象派の絵のような世界にときおり混じる直截な性的表現が暗示しているように、実は衝撃的な事件も起きるのだが、兄が死に至った経緯も含めて詳述されない。が、いくら浮遊感がテーマとはいえ、核になるストーリーを確立したほうがよかったのではないか。英語は難解というほどではないが上級者向きだ。