これはかなりシンドイ作品だ。このところ軟派路線に走っていたので、たまにはガツンと堅めのものを読もうと、今年の国際IMPACダブリン文学賞の受賞作に取りかかったのはいいが、老化と怠惰でふやけた脳ミソにはちと厳しい。
まずストーリーが直線的には進まない。主人公は黒人の男で、妻は白人、子供が3人いるが、男は一文無しとなり、35歳の誕生日を前に妻子と別れ、友人の家に転がりこむ…という大きな流れはあるのだが、そのかん、いやそれ以後も話はあちらこちらに飛ぶ。
妻子のことはもちろん、男の両親をはじめ家族の歴史や少年時代の思い出などが断片的に綴られ、それぞれいわば意識の流れの中で現在の男と結びついている。貧困、人種差別、虐待など、悲惨な過去があったらしい。
テーマはまだよく分からないが、ひょっとしたら存在の不安、逆に言えば、存在理由の追及かなという気もする。当年35歳、どうして今ここに、こんなふうに存在しているのか、と男は人生の軌跡をふりかえっているのかもしれない。本書を読みながら、ぼくも子供時代から今までのこと、といっても夏の日盛りに友だちと一緒に遊んだりした、ごく日常的な光景を少しずつ頭に思いうかべている。本書にはそんな副次的効果もあるようだ。