ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

”Madame Bovary” 雑感(1)

 少し前にアメリカのベストセラー、Elin Hilderbrand の "A Summer Affair" を読んだとき、「世界文学の古典には『アンナ・カレーニナ』、『ボヴァリー夫人』、『チャタレー夫人の恋人』、『情事の終り』など…不倫を扱ったメロドラマが目白押し」だが、「そういう文学史上に残っている名作と」、"A Suumer Affair" のような大衆小説「はどこが違うのだろう」という疑問をもった。で、とりあえず、「男女の恋愛を描きつつ、たとえばロレンスのように愛の本質に迫ったり、グリーンのように倫理の問題に移行したり、といった人間に関する深い洞察が示されるのが純文学、でなければ大衆小説、と分類できるかもしれない」と例によって独断と偏見に満ちた結論を述べたのだが、本当にそうなのか、フローベールの場合はどうなのだろうと思って本書に着手した。
 邦訳は中学生の(マセガキだった!)ときに読んだきりで、内容はさっぱり憶えていない。例の「ボヴァリー夫人は私だ」というフローベールの有名な言葉も知っているが、はてどんな文脈だったのやら…。おかげでさいわい、まったく新鮮な気持ちで取り組める。選んだテキストは Oxford World's Classics 版。前から Penguin Classics 版も書棚に飾ってはいるのだが、ネットで冒頭を一読したかぎり、どうも Oxford 版のほうが読みやすそうなので急遽入手した。
 で実際、この英語は読みやすい。フローベールに接するのは何年か前の夏に読んだ "Sentimental Education" 以来だが、あれは Penguin 版で、今調べると64年の訳。道理で何だか古色蒼然としていたわけだ。こちらは04年の訳で訳者は Margaret Mauldon。やはり Oxford 版でスタンダールの "The Charterhouse of Parma" も訳している人だが、あちらもずいぶん読みやすかった憶えがある。
 …今日は内容にまで踏みこめなかった。中学生のときは何を読んでいたのだろう、と思うほど昔の記憶はいっこうによみがえってこない。ダイグレッションの使い方など気のついた点はあるが、それはまた後日。