ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Archivist's Story" 雑感(2)

 おとといの続きになるが、"Love and Summer" も "Not Untrue and Not Unkind" もメロドラマとして相当にがんばっていると思う。前者は「清純な不倫」を描きながら「周囲の人物もふくめた心の葛藤劇となっている点がすばらしい」し、後者は「即物的とも言えるドライな客観描写の行間に、じつは無限の悲しみがこめられている」点に胸を打たれる。どちらもショートリストには残らなかったものの、さすがはブッカー賞候補作である。
 だが、同じメロドラマでも『アンナ・カレーニナ』や『恋する女たち』、『武器よさらば』、『情事の終り』といった昔の名作と較べると、ずいぶん小粒になってしまったな、という印象はどうしてもぬぐえない。「ここにあるものは結局、個人の感傷に過ぎないのではないか」。 "Not Untrue...." へのこの感想は "Love and Summer"、さらには、ほかの多くの現代の恋愛小説にも当てはまりそうな気がする。
 これにはいろいろな原因がからんでいると思うが、ひとつには、過去の大家巨匠たちがあらかた書くべきことを書いてしまい、現代の作家には新しい一ページを付け加える余地がほとんどない、ということもあるだろう。この "The Archivist's Story" を読んでいても、それは感じる。スターリン圧制下の恐怖、不安――本書の要素をちょっと並べただけで、何を今さら、という気がしてくる。
 共産主義という名の全体主義の恐怖については、その思想的な根源としてはドストエフスキーが書きつくしているし、スターリニズムにかぎってもオーウェルを読めばまず充分。現代作家にとって『悪霊』や『1984年』に比肩しうるような小説を書くことは、ほとんど至難の業なのではないだろうか。
 では、この "The Archivist's Story" はつまらない作品かというと、そんなことはない。まだ核心部分まで読み進んではいないが、ぼくはかなり気に入っている。妻を亡くした主人公の Pavel がアパートの女管理人と言葉をかわす。女は死んだ(?)子供のことを口にする。べつに感傷的な筆致でもないのに、二人の悲哀がふっと漂ってくる。うまい!
 だが、もしそれだけで本書が終わるとすれば、またまた「ここにあるものは結局、個人の感傷に過ぎないのではないか」ということになる。さて、残り半分はどうでしょうか。