ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Travis Holland の "The Archivist's Story"(3)

 本書を読んで『悪霊』や『1984年』のような過去の名作を思い出すのは自然の成り行きだが、あとひとつ考えたのは、先週も採りあげた純文学と大衆小説の違いという問題である。あのときは Louise Douglas の "The Love of My Life" をきっかけに、恋愛小説、それもメロドラマに絞って取り組んだわけだが、今回は旧ソ連つながりで、David Benioff の "City of Thieves" と本書を比較してみよう。
 今年のアレックス賞を取った Benioff のほうは、「第二次大戦中、レニングラード包囲戦のさなか、うぶな少年が否応なく大人へと成長せざるをえなくなった冒険物語」。「戦争の根源を深く掘り下げるような」作品ではないが、ハラハラドキドキ、手に汗握る山場の連続で「サービス満点」、とにかくゴキゲンな大衆小説だ。
 一方、この "The Archivist's Story" は、「家族との別れなど個人的な事情による悲哀や喪失感、さらには悲壮な使命感」を主眼としたもので、そこに全体主義のもたらす恐怖や不安が入り混じっている。"City of Thieves" と較べるとはるかに地味な展開だが、反面、登場人物の心情がじっくり書きこまれていて、「心にしみる切ない場面が多い」。
 このように二つの作品の美点を挙げてみると、かなり図式的な暴論だが、心理重視型の純文学とストーリー重視型の大衆小説というふうに両者の違いを説明できるかもしれない。こう書いたとたん、この公式に反する例がいくつも浮かんできてイヤになるが、これが当てはまる場合も多いような気がする。
 先週のメロドラマの例で言えば、"The Love of My Life" と Elin Hilderbrand の "A Summer Affair" は明らかにストーリー重視型で大衆小説、William Trevor の "Love and Summer" と Ed O'Loughlin の "Not Untrue and Not Unkind" は心理重視型で純文学。こんな分類をしてどんな意味があるのか自分でも大いに疑問だが、じつは図式化してみると、ぼくが楽しんでいる現代小説の要素は、二つのうちのどちらかに属していることが多いことに気がつく。だが、たとえばドストエフスキーオーウェルなどには、その二つとはまた異なる面白さがあった。この問題については、機会があればいつか考えてみたい。