ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Winnie and Wolf" 雑感(1)

 こんどのシルバーウィークにゆっくり骨休めできるようにと、今週は家でも仕事に励んでいる。そこで通勤電車の中で2007年のブッカー賞候補作、A. N. Wilson の "Winnie and Wolf" にボチボチ取りかかった。これは今のところ、ちとシンドイ小説だ。なにしろ、実在したのかどうか知らないがヒトラーの愛人の伝記ということで、話そのものが重い。くだんの女性 Winnie はイギリスの孤児院で育ち、やがてワーグナーの息子と結婚したものの、ヒトラーに夢中になったという設定。
 その事実関係は面倒くさいので調べる気がしないし、ヒトラーワーグナーに傾倒していた話も聞いたことはあるが、それが真の理解だったのか誤解だったのか、ぼくには判断する力がない。おまけに、ぼくはまだ「ワーグナーの毒」を味わっているとは言えず、 「指環」だってジョージ・セルのハイライト盤をたまに聴く程度。そんなこんなで本書の内容にあまり興味が持てないのもシンドイ一因だ。
 伝記小説としてはごくオーソドックスな展開で、ワーグナーの息子一家の秘書をつとめ、自身 Winnie を愛していたという人物の目を通して、インフレにあえぐ第一次大戦後のドイツの国内情勢や、ヒトラーワーグナー一家との交流、Winnie が初めてバイロイトを訪れ、『さまよえるオランダ人』に魅了されたエピソードなどが紹介される。事実関係はさておき、要するに小説として優れているかどうかが問題だが、第1部を読んだかぎりは上の事情で今ひとつ乗れない。
 ところで、これを読んでいて関係代名詞の面白い用例に出くわした。知り合いのアメリカ人も首をかしげていたが、こんな文だ。....but in my first few semesters I became bitten by the Nietzsche bug and the milk and water version of Christianity (as I perceived it then―my God) of those who thought like my father was a poor substitute for a true emotional engagement with the claims of Christianity. この who の使い方はちょっと見たことがない。
 次の who も珍しいのではないか。My own belief is that H boycotted the next few Festivals not because of this painful subject but because of that powerful strain of superstition in his nature which believed he was being led by Fate from one phase to the next, but who also, having narrowly escaped death in the war, was never sure when nemesis might appear.