ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Winnie and Wolf" 雑感(5)

 昨日からまだいくらも読み進んでいないが続きを補足。「ヒトラーの人物像…についてもかなり常識的な解釈だ」と書いたが、これは本書のフィクション部分にも当てはまる。ジークフリートに雇われた秘書の目を通してワーグナー一家とヒトラーの交流が描かれ、ヒトラーは子供たちにとって「愛想のいいおじさん」、ヴィニフレートには魅力たっぷりの男として登場する。実際、そんな交流があったのかもしれないが、細部はおそらくフィクションだろう。
 時代的にはまだヒトラーが独裁者となる以前の話だが、とにかく暴虐専横のかぎりを尽くしたヒトラーにも血の通った一面があり、ごく普通の人間として穏やかにくつろげる相手が必要だった。…という記述を読んで、ふむふむ、こりゃ驚いた、人間って分からないもんですなあと読者が感心するかどうか、ぼくは大いに疑問を感じる。
 まず、それが独裁者の伝記に必ず出てきそうなエピソードであることだ。冷たい、怖いだけでなく、温かい、優しい一面もあっただなんて、それが事実ならどんな作家でも採りあげるし、フィクションなら誰だって思いつく話である。あまりに当たり前すぎて、ちっとも面白くない。
 それは結局、独裁者といえども一人の人間に過ぎないからだ。人間なら誰しも欠点だけでなく長所もあるはずだ。問題は、そういう善悪両面をそなえた普通の人間がなぜジェノサイドを引き起こしたか、という点にある。その問題を素通りして、じつはヒトラーにも人間的な側面があったのだと言われても、それだけではとても感心するわけには行かない。
 ヴィニフレートとヒトラーの関係については、ネットで調べたかぎり、必ずしも愛人関係だったとは言えないようだが、本書ではそれが前提となっている。この点を突っこむとメロドラマになってしまうのは見え見えで、作者も今のところそれを避けている。とはいえ、これから最終章にかけて何らかの進展があるはずなので、それを期待しましょう。