ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

John Irving の "Last Night in Twisted River"(2)

 読了したあとも結局、読みだした当初からの「まずまず面白い」という感想は変わらなかった。金髪女のパラシュート降下場面など、光るシーンはいくつかある。だから決して悪くはないのだが、雑感やレビューで述べたような理由で、アーヴィング会心の出来とは言えない。
 ただ、熱心なファンや、英文科の先生、学生たちなどには非常に興味深いのでは、と思える箇所もある。ベストセラー作家が主人公ということで、ひょっとしたら、アーヴィング自身も主人公と同じようなやり方で創作に従事しているのかな、と想像したくなるからだ。断片的なメモを思いつくままに書きとめ、あとでその文をいちばんしっくりくる場面で使う。それから…いや、ネタばらしはやめておこう。おまけに、もしこんな感想をアーヴィングが聞いたら、本書の登場人物が述べるリベラルな政治見解と同じで、それはあくまでもフィクションであって、僕自身の創作方法や主義主張じゃないよ、とニンマリされそうな気がする。
 「生ぬるい」と評した「現実とフィクションの混淆」について補足すると、それがマジックリアリズムの域に達していないからダメという意味ではない。マルケスやドノソの世界をかいま見た目で本書をふりかえると、この「混淆」には一体どんなねらいがあるのだろう、と疑問に思ってしまう。通常のリアリズムでは描ききれない人間の側面を提示しようというのではなく、要するにこれ、起伏に富んだ展開にしたい工夫のひとつに過ぎないんじゃないか。そんな底の浅さゆえに「生ぬるい」と感じてしまうのだ。
 とはいえ、この「混淆」をはじめ「さまざまな工夫がほどこされている」おかげで、「単純な人情話、メロドラマ」が大河ドラマ、さらには、「何でもありのごった煮の世界」へと発展している点は見逃せない。旧作と比較しなければ、これはこれでとてもよく出来ている。要するに、「期待したほどではない」が「まずまず面白い」。というわけで、ぼくのようにアーヴィングの新作と聞いて飛びつくのではなく、よほどのファンでないかぎり、ペイパーバック化されるのを待ってもいいのではないだろうか。