ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Herta Muller の "The Land of Green Plums"(2)

 雑感に書いたノーベル文学賞に対するぼくの偏見を要約すると、(1)過去の業績に対する顕彰の意味合いが強く、現役ばりばりの作家が受賞することは少ないのではないか。(2)政治的な意味合いが強く、とりわけ反体制派の作家が受賞することが多いのではないか。(3)20世紀後半あたりから受賞作家の水準が落ちているのではないか。
 これをいちいち検証するゆとりはないが、ともあれ、ノーベル文学賞のニュースを聞いて飛びついたのは04年の Elfriede Jelinek 以来で、あのときは "The Piano Teacher" と "Women as Lovers" を読み、レビューも書いた。正直言って、こんなものでノーベル賞を取るのかと鼻白んだが、その後、ある正真正銘の文学青年から、日本でも一部に熱狂的なファンがいることを知らされた。たぶん、ぼくなどには想像もつかない作品世界があるのだろう。http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20081129
 で、今回の Herta Muller だが、たった一冊だけ読んで結論を導くのは牽強付会もいいところと思いつつ、本書の感想を端的に述べると、上記のぼくの偏見を裏付ける結果となってしまった。Wikipedia と米アマゾンを検索し、また、1998年の国際IMPACダブリン文学賞の受賞作であることも考慮して取り組んだのだが、残念ながら期待はずれだったと言うしかない。ただし、イェリネクの場合と同じで、このヘルタ・ミュラーという初読の作家にも、門外漢にはうかがい知れぬ領域があるものと思う。今はとても2冊目を読む気になれないが、いずれまたどこかで網に引っかかる作品もあることだろう。
 本書に失望した理由は昨日のレビューでも書いたとおり、「全体主義の根源を哲学的に深く追求した作品ではなく、その狂気と恐怖を描いた小説の歴史に新たな一ページを加えるものでもない」点につきる。ドストエフスキーの『悪霊』、カフカの『審判』、オーウェルの『1984年』あたりがマイルストーン的な古典だと思うが、そういう古典が頭にちらついた結果、ううん、これはちょっとねえ…となってしまった。http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080424
 ただ、「そんな極楽とんぼの感想を述べられるのも自由があればこそ。自由を奪われた作者自身の体験を本書から想像すると、ここで描かれた現実の前に言葉を失ってしまう」ことも事実である。(じつは言論の自由を束縛されることもあるのだが、いちおう)自由の国に住んでいると、自由のありがたさを感じることは少ない。また、国内のちょっとした人権抑圧には敏感でも、隣国での人権弾圧にはきわめて鈍感ということもある。その代表例がどこかの国のノーベル賞作家だが、ヘルタ・ミュラーがそんな低次元の政治的アジテーターではないことを祈りたいものだ。