ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jayne Anne Phillips の "Lark & Termite"(2)

 「生意気なことを言うと、先が見えてしまった」と雑感(1)に書いたが、結局、ほとんど予想どおりの結末だった。「視点が一巡したあとの展開が定石どおりでワンパターン」だし、人物や状況の設定もステロタイプに近い。勘の鈍いぼくでも第2クールの冒頭でほぼ全体が見通せたのだから、もっと早い段階でピンとくる読者が多いのではないだろうか。
 というわけで、全米図書賞を Colum McCann の "Let the Great World Spin" に、今回の全米批評家(書評家)協会賞を Hilary Mantel の "Wolf Hall" に、それぞれさらわれてしまったのも当然の結果である。みずみずしい感覚に満ちたパワフルな描写はすばらしいのだが、「読めば読むほど、ああ、やっぱりね、と思ってしまう」内容で、短編の名手なら、同じネタでもっと感動的な短い作品に仕上げることもできそうだ。これはとにかく、ぼくのようにダラダラ読まず、一気に読んでしまうのが楽しむこつだと思う。でないと、途中で飽きてしまう恐れがある。
 「事実は小説より奇なり」とよく言うが、小説における現実とは、登場人物や舞台、物語の展開などから構成されている。で、ある小説がすぐれたものであればあるほど、その小説的現実は何らかのかたちで実人生を反映、象徴したもの、という場合が多いようだ。それどころか、日常の現実にひそむ恐ろしい人生の真実を描き出している作品さえある。だからこそ、そんな作品は名作・古典たりうるのだ、というのがぼくの持論。
 ひるがえって、もし上の水準に達していなければ、それはひたすら現実の後追いとなり、現実の平面をついに超えられない、要するに底の浅いものに終わってしまう。その結果、「事実は小説より奇なり」ということになるのかもしれない。本書がそういう浅薄な作品だとまでは言わないが、あまりにも「定石どおり」の展開、人物造形なので、深い感動を呼びにくいことだけは確かだろう。本書をダラダラ読んでいる最中、身辺で起きた事件のほうが圧倒的にインパクトがあり、ぼくはすっかりそちらのほうに夢中になってしまった。
 おかげでひどく疲れもしたが、小説にはヒーリング効果をふくむものがあり、本書の場合、身障者の弟を守ろうとする姉の心情がそれに該当する。"Lark & Termite" というタイトルは、その意味でも適切だと思う。