ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Paulette Jiles の “The Color of Lightning”(2)

 今は今年の英連邦作家賞(Commonwealth Writers' Prize)受賞作、Rana Dasgupta の "Solo" をボチボチ読んでいる。なかなか面白い。もうそろそろ雑感の続きを書くべきところだが、先週読みおえた昨年のギラー賞(Scotiabank Giller Prize)候補作、Paulette Jiles の "The Color of Lightning" について、どうしても付言しておかねばならぬ問題がある。
 これはショートリストにも残らなかった作品だが、さる記事によると一般読者のあいだでは本命視されていたのだとか。それほど人気を博した理由はおそらく、黒人一家がインディアンに襲われ、男が妻子の救出に乗りだすという主筋が感動的だからだろう。映画化の話があるかどうかは知らないが、アクション・シーンも多いことだし、何より「愛と信頼と勇気の大切さを改めて教えてくれる」点が健全で映画向きだ。
 だが、ぼくが本書で強く惹かれたのは、むしろ副筋のほうである。準主役の Britt が「インディアンの蛮行を目の当たりにして、クェーカー教徒としての信条を放棄する破目になる」というものだ。理想主義者の彼は誠心誠意、インディアンに取り決めを守らせ、白人を襲撃しないように説得するのだが、インディアンのほうはそんな彼に、剥いだばかりの人間の頭の皮を投げつける。そこでやむなく彼はクェーカー教の教えに反し、軍隊の導入を決意する。ところが、それを聞いた教団の幹部は、平和と友愛の精神で臨む努力を続ければ理解が得られるはずだ、とノーテンキなことをうそぶく。
 じつは本書にはエピローグがあり、そこでコマンチ族とクェーカー教徒のその後の顛末が紹介されている。それによると、1871年に the Warren Wagon Train Massacre という大事件が起きて多数の白人が殺害されたため、グラント大統領は平和政策を放棄し、インディアンとの交渉役からクェーカー教徒を解任。the Red River War という長い戦争が始まり、1874年に Quanah Parker という酋長を捕まえてやっと終結したのだとか。面倒くさいので確認はしていないが、たぶん史実だろう。
 以上の Britt とインディアンのやりとり、および史実が意味するものは明らかだが、猛暑のせいか、ここまで書いただけでもう息が切れてしまった。続きはまた明日にでも。