ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Solo”雑感(2)

 雑感(1)からずいぶん間があいてしまった。本書は今年の英連邦作家賞(Commonwealth Writers' Prize)の受賞作で、作者はインドの作家 Rana Dascupta。連日の猛暑のせいか予定より遅れ気味だが、何とか目鼻がついてきた。これはどうやら、現実と幻想が混在する一種のメタフィクションのようだ。
 全体は2部構成になっていて、第1部は100歳近い老人 Ulrich の自伝。舞台はブルガリアの首都ソフィアで、オスマン=トルコ帝国からの独立に始まり、革命家のテロ活動とその弾圧、ナチスドイツによる侵略、赤軍による解放、共産主義体制とその崩壊といった大きな歴史の流れを背景に、Ulrich が幼少時代からの一生を回顧する。
 この第1部はたしかにクイクイ読めてとても面白いのだが、正直言って、その意図がさっぱりつかめなかった。各章は「マグネシウム」「炭素」「ラジウム」といった元素名で題され、Ulrich は化学オタク。今は盲目だが、それも自宅で硫酸を取り扱っているうちに失明したというもの。隣人の施しで暮らしている極貧の身だが、父親は鉄道技師で、生まれたときはさほど不自由のない生活だった。このかんほぼ一世紀、波乱に満ちた生涯が続くわけで、歴史の流れや体制の変化はもちろん、恋や友情、親との軋轢といった個人的事情もからんで人生の有為転変、悲喜こもごもがけっこうドラマティックに描かれる。が、だから何なんだ、という疑問がどうしてもぬぐえなかった。
 ところが、第1部の終幕あたりから様相は一変する。盲目の Ulrich は今や白日夢の世界に住み、次から次にフィクションを創造(想像)することによって生きている。で、そのフィクションのいくつかが第2部で示される…ようなのだ。ところが、このフィクション、幻想の中の現実というのか、主人公が別人に変わっただけで、Ulrich の物語と筆致はまったく同じなのだ。それは Ulrich と同じ時代に、べつの人間がべつの場所で生きた現実というべきである。だが一方、それはおそらく Ulrich の白日夢の世界にあるものでもある。…というわけで、「これはどうやら、現実と幻想が混在する一種のメタフィクションのよう」なのだが、さてどうなんでしょうね。