ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Paul Murray の “Skippy Dies”(1)

 今年のブッカー賞候補作、Paul Murray の "Skippy Dies" をやっと読みおえた。さっそく、いつものようにレビューを書いておこう。

Skippy Dies

Skippy Dies

Skippy Dies

Skippy Dies

[☆☆☆☆] 学園物といえば青春小説と相場が決まっていて、たしかに本書でも青春の嵐が吹き荒れている。が、これは教師と生徒それぞれの立場から学校生活と私生活を描き、人生経験の場、教育現場としての「今そこにある」学校を主な舞台とすることで、学校がいわば現代社会の縮図、いや小宇宙とさえ化した「総合学園小説」とでも呼ぶべきものだ。孤立、挫折、自己喪失、絶望、過去のトラウマ、良心の呵責、一時の激情、政治的野心、偽善と自己欺瞞…ここにはありとあらゆる負の感情が渦巻き、それがときに猛烈な高ぶりを見せ、生徒も教師も大いに揺れ動く。それは同時に、純真無垢な心がひどく傷つきながらも、かすかな希望をいだき、充実した人生を求めてやまない証左でもある。冒頭、ドーナッツ屋で少年が突然死亡、その死にいたるまでの経緯が次第に明らかにされ、死後に生じたさまざまな余波が描かれるという展開だが、そのかんユーモラスな授業風景、少年が在籍していたダブリンの名門男子校と隣りの女子校の合同ダンス・パーティーに代表されるドタバタ狂騒劇、あるいは青年教師が演じるラブコメディーなど、当初は軽快なノリだが、次第に上述の感情がヒートアップ。やがて「意識の流れ」の技法まで駆使され、現実と幻想が交錯するマジック・リアリズムの世界にさえ近づいていく。ドラッグや不良グループ、パッヘルベルのカノン、地球外知的生命体や死者との交信、第一次大戦の秘話など題材も多岐にわたり、そこに定番の恋愛や友情のもつれ、親子の断絶などがからむ。総じて混迷する現代の象徴とも言えるような悲喜劇である。英語は難解というほどではないが、語彙レヴェルはかなり高い。