ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

2010年ブッカー賞最終候補作「面白度」ランキング(Man Booker Prize 2010 shortlist)

 ブッカー賞の最終候補作を今年初めて(と思ったら、07年に続いて2回目だった)発表前にぜんぶ読みおえた。そこで予想がてら、恒例の「面白度」ランキングを発表しておこう。レビューはどれも再録で、(  )内は現時点の William Hill による人気順とオッズを示している。
1.Tom McCarthy "C" (1. 7/4)

C

C

[☆☆☆☆] とんでもない勘違いのような気もするが、これは生の現実をすこぶる鋭敏な感覚でとらえ、それを見事に小説化した作品かもしれない。その現実とは、不条理だが決して虚無的ではなく、むしろその実態にふれることによって生の充足感、愉悦感さえ覚えるものである。ただし、それを味わうには不条理を、相当な試練を経験しなければならない…。20世紀前半、イギリスの片田舎に生まれた少年の姉も父親も、そしてもちろん少年自身もエキセントリック。それぞれ奇矯な行動に走り、最初は何の話かさっぱりわからない。が、面白おかしいエピソードを追いかけているうちに、間接的ながら上のテーマが見えてくるように思う。全体は4部構成で、少年はやがて青年となり、それぞれ最後に劇的に盛りあがる展開のうちに何度も生の現実を痛感する。途中、第一次大戦に従軍するなど、死と隣り合わせの極限状況に立たされることもあるほどだが、青年はしぶとく生き残る。それどころか、大げさに言えば人間存在の根底にふれて生を満喫している。が、これは断じて観念的な哲学小説ではなく、コミカルな事件をはじめ、行きずりのセックス、戦闘機の空中戦、交霊術の会、エジプトでの地下墳墓探検など、各部ともサービス満点のくだりがあって大いに楽しめる。青年が出会う人々もそれぞれ存在感があり、その出会いを通じて人生を生きている姿が目にうかぶ。そういう事件、人物からなる細部の面白さの奥にひそむ深い意味を読者が各人各様、汲みとるべき作品だろう。英語も現代文学としてはかなり難易度が高いほうだと思う。
2.Damon Galgut "In a Strange Room" (3. 7/2)
In a Strange Room

In a Strange Room

In a Strange Room: Three Journeys

In a Strange Room: Three Journeys

[☆☆☆☆] 感服した。心の底に秘めた愛情が静かにうねり、やがて次第に高まり、最後は嵐のように吹き荒れるものの、また元の静かなさざ波へと戻っていく。南ア共和国の白人男性が青年期から中年にかけて体験した3つの大きな事件を描いた連作中編集だが、それぞれの事件を要約すると上のようになる。青年時代の彼はたえず旅をして「見知らぬ部屋」に泊まりつづけ、根無し草のように各地を転々としている。存在基盤をもたず常に孤独な男が旅先で見知らぬ相手と出会い、心を惹かれる。沈黙と静寂のうちに不安や緊張、焦燥、愛と憎しみ、喪失感や虚無感などさまざまな感情が交錯する。男が結ぶ近くて遠い人間関係は、現代人の生き方を象徴したものとさえ言えるかもしれない。中年となった第3部では、心の病に冒された母親と旅行に出かけるうちに、それまでと打って変わって男の感情は一気に爆発。母親の看病に身も心も疲れ果て、苛立ちや怒りはおろか、時には憎しみさえ覚えてそれを口にする。その壮絶な戦いに、家族とは決して愛情だけで結びつくものではないと改めて思い知らされて絶句。とはいえ、そこにはやはり熱い感情が流れている。それをあくまでも抑制した文体で綴っている点がすばらしい。この終幕から序盤と中盤をふりかえると、本書はやはり現代人の愛と孤独、そして人生を旅行に託して描いたものだと思う。英語は平明でとても読みやすい。
3.Andrea Levy "The Long Song" (5. 7/1)
The Long Song: Shortlisted for the Man Booker Prize 2010

The Long Song: Shortlisted for the Man Booker Prize 2010

[☆☆☆★★] 奴隷の苦しみを描いた小説は数多いが、悲惨な歴史をコメディー・タッチで綴った点に本書の価値がある。19世紀のジャマイカ、サトウキビ農園で奴隷として働いていた黒人女性がその生涯を、母親と息子の人生もふくめてふりかえる年代記。現象的には虐待や暴行、奴隷の反乱とその鎮圧、処刑、はたまた拳銃自殺など血なまぐさい事件が続くものの、女性が「生まれ落ちた」いきさつに始まり、インディー・ジョーンズばりのゴキブリ退治騒ぎ、農園での「糞まみれ」の仕事など、各エピソードはコミカルで、ほら話に近いほど誇張され、要するにこれはスラップスティック調の悲喜劇である。人物描写もユーモアたっぷりで、大昔の映画でも観ているような感情過多、演技過剰気味の役者たちの演じるドタバタ騒動がじつに楽しい。それを大いに盛りあげているのがブロークンで饒舌、活発な文体で、この語り口の妙によって本書は佳作たりえていると言っても過言ではない。ひるがえって、もしこれがそういう文体の面白さによって支えられた「スラップスティック調の悲喜劇」でなかったとしたら、内容的にはさほど新味がないとも言える。ただし、安易な問題告発で能事足れりとする安手の政治小説、社会小説よりは数等高級な作品である。英語の難易度は現代文学としてはけっこう高いほうだと思う。
4.Emma Donoghue "Room" (2. 3/1)
Room

Room

[☆☆☆★★] 子供は成長するにつれ、その小さな世界を少しずつ広げ、新しい現実を徐々に発見していくものだが、本書はその過程を超倍速で再現した作品と言える。前半はほとんどすべて、天窓しかない小屋の狭い部屋の中だけが舞台で、主人公はそこで若い母親と一緒に暮らしている幼い少年。室内にあるものを巧みに利用して行なうゲームなどの「出来事」が終始一貫、少年の立場から物語られる。時折母親を訪ねてくる男を除けば外部との接触はいっさいない。男の訪問中、クローゼットの中で過ごす少年の孤独な心がたまらなく切ない。室内の世界しか知らない少年の現実認識を改めようと母親が試み、子供らしい抵抗に出会って生じる葛藤も読みどころのひとつ。やがてこの異常な状況から次第にサスペンスが高まり、心臓をぐっとわしづかみにされるような事件が発生する…。後半は要するに「超倍速で再現」された子供の成長過程であって、少年が心と体でさまざまな痛みを味わう一方、家族の愛情につつまれながら「新しい現実を徐々に発見していく」姿が描かれている。自分の子供時代を思い出し、身につまされる読者も多いことだろう。古びたテーマだが、特異な舞台を設定することによって読みごたえのある作品に仕上がっている。語り手が子供ということで英語はブロークンだが読みやすい。
5.Peter Carey "Parrot and Olivier in America" (4. 11/2)
Parrot and Olivier in America

Parrot and Olivier in America

[☆☆☆★] 19世紀前半、草創期のアメリカを主な舞台にした歴史小説。動乱の続くフランスを逃れて渡米した青年貴族と、数奇な運命の果てに青年と出会ったイギリス人の召使いが主人公で、二人の視点から交代で珍道中が語り継がれる。冒険活劇に始まり、コミカルなドタバタ騒動もあれば、青年が召使いの恋人に熱をあげて三角関係になったり、はたまた美しいアメリカ娘に恋をしたりといったメロドラマもあるなど、個々のエピソードはけっこう楽しい。それらを通じて、熱にうかされたような富の追求や自由の享受といった当時のアメリカの状況が次第に浮かびあがる一方、青年が貴族ゆえに味わうカルチャーショックは同時に通過儀礼でもあり、その点に絞れば青春小説のおもむきもある。視点の変化のほか、過去と現在の話が巧妙に織りまぜられ、手紙文も混じるなど、語り口にプロ作家の熟練の業が光り、饒舌な文体と相まって読みごたえのある作品に仕上がっている。だが、作者の歴史観はごく常識的なもので、この有名な時代をモチーフとして新たに小説を書く意味が伝わってこない。斬新な切り口から得られるはずの知的興奮は皆無。登場人物の生き方に感動することもない。それゆえ盛り上がりに欠け、堅実無比のオーソドックスな技法でさえ二番煎じに思えてしまう。語彙的には難語も頻出するが、総じて読みやすい英語である。
6.Howard Jacobson "The Finkler Question" (6. 8/1)
The Finkler Question

The Finkler Question

[☆☆★★] 愛と死にまつわる予言に始まり、それぞれ妻を亡くしたばかりのユダヤ人の旧友二人と旧交を温めた男が追いはぎに襲われるくだりまではまずまず面白い。が、ラブロマンスなりミステリ仕立ての展開になるのかと思いきや、話はかなり退屈なユダヤ人論へと流れていく。イスラエルによるガザ侵攻を背景に、三人の住むロンドンでユダヤ人迫害事件も起こるなか、今日、ユダヤ人であることにどんな誇りや意味があるのか。夫婦の愛情の歴史や不倫、同棲、男同士の友情なども話題に取りあげられるが、それはいわば刺身のツマ。中心はあくまでも、今や憎悪の対象でしかない(と登場人物が感じている)ユダヤ人への理解、およびユダヤ人としての存在意義にある。ところが、この問題へのアプローチが政治的な観点にとどまっているため、差別する側の心理と、差別される側の苦しみを描くことによって当然導かれるはずの人間性にかかわる真実がさっぱり見えてこない。ゆえに退屈千万。結末から冒頭の予言をふりかえると、あれはいったい何だったのかと疑問に思ってしまう。英語は総じて読みやすいが、語彙的にはやや難易度が高いほうだと思う。