ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“A Happy Marriage”雑感(1)

 祝日の今日も午前中は「自宅残業」。冬晴れのもとでジョギングをして気分一新、今年のロサンジェルス・タイムズ紙小説大賞(LA Times Book Prize for Fiction)受賞作、Rafael Yglesias の "A Happy Marriage" に取りかかった。
 この賞の受賞作で比較的最近読んだものはといえば、Colm Toibin の "The Master" (04)、Andrew O'Hagan の "Be Near Me" (07)、Marilynne Robinson の "Home" (08)。いずれもかなり渋い作品が選ばれている。そのことに気づいて食指が動き、未読の受賞作のうち、とりあえずいちばん新しいものから片づけることにした。(発行されたのは去年だが、この賞はいつも前年に発表された作品の中から選ばれるようだ)。
 タイトルから察するにコミカルな小説かな、と思って読みはじめたが、実際最初はわりと軽いノリだ。舞台は1975年のニューヨークで、主人公は20代の若い作家 Enrique。同棲していた恋人と別れたあと女ひでりのところへ、友人が若い女 Margaret を渋々紹介。これが飛びきりの美人で Enrique は一目惚れ…おや、予想どおりラブコメかと思いきや、第2章に入ると一転、話は30年後に飛び、Margaret は末期ガンで死の床にあり、夫の Enrique が献身的に看病している。当然暗いシリアスなタッチで、軽快で明るかった第1章とは大違いだ。そのコントラストが第3章以降も続いている。
 今日はまだいくらも読んでいないので、あとは上記3作のレビューを再録してお茶を濁しておこう。とりわけ Toibin の作品が心にしみ、また文学的にもすぐれていると思う。

The Master

The Master

 19世紀末、すでに巨匠としての名声を博していたヘンリー・ジェイムズ。本書におけるその人物像がどこまで実像に近いかはさておき、ここには明らかに、いかにも作家らしい観察者の目がある。相手の言動や顔の表情、声の調子などを鋭く観察し、心理や意識の流れから性格・気質にいたるまで分析ないしは想像する。この精緻をきわめた心理描写、性格描写がまず読みどころ。そんな作家が目をつけた人物を創作ノートに記録、それぞれにふさわしい舞台を考え、架空の人物として熟成させながら、やがて小説の中に登場させるという過程も創作の秘密をかいま見るようで興味深い。主人公の人間観察はもちろん自分自身にも及び、客観的な自己省察が随所に認められるが、その一方、枕元で看取った妹の死、ひと夏を一緒に語り過ごした従妹の死、お互いに謎の存在でありながら親交を深めた女流作家の自殺、何度か衝突もした兄とのふれあいなどを通じて、メランコリーや孤独感、深い悲しみ、心の痛みが静かに伝わってくる。女流作家が遺した衣服をヴェニスの潟に沈めたり、心臓を病んだ兄を見送ったりする場面など、どこまでも感情を抑制した筆致なのに深い余韻が胸を打つ。全体を通じて地味で渋い作風だが、これは(トビーンの解釈による)ヘンリー・ジェイムズの人間観を反映したものかもしれない。女流作家との交流が示すように、彼は他人とかかわりながらも「心の密室」に閉じこもり、密室という「安全地帯」から人間を眺めていた。また、その観察は性格や心理を対象としても、ホーソーンに対する彼の評価が示すとおり、人間の根本的な価値観や存在基盤には及ばなかった。そういう作家がいくら人間を観察しても、それはしょせん傍観の域を出ない。それゆえ激しいドラマも生まれない。だが、波瀾万丈の人生こそ送らなかったにしても、静かに人を見つめつづける中に、じつは血の通う人間的な側面もあったのだ。…と、そんな作家像が本書からは浮かびあがってくる。英語は深い知性を感じさせる緊密な文体で、難易度もそれなりに高い。
Be Near Me

Be Near Me

 久しぶりにイギリスの小説らしい小説を読んだ。最初はとりわけ、スコットランドの田舎町に赴任したイングランドの神父と家政婦が丁々発止とかわす会話が面白い。やがて歴史的、宗教的な背景から敵意を示す地元民をよそに、神父は不良少年たちと親交を深める一方、家政婦は癌にかかっていることが分かる。こういう流れの中で各人物の心の動きが、時には散文詩と言ってもよいほど繊細なタッチで描かれ、本書の読みどころの一つとなっている。物語が動きだすのがかなり遅いので、この微妙な心理描写を楽しまないと忍耐を強いられるかもしれないが、終盤はリーガル・サスペンスに近い盛り上がりを見せ、事件に巻きこまれた神父の洩らす「愛する人を選ぶことはできない」という言葉が感動的。結末も深い余韻に満ちており、愛と死、友情、孤独、青春など、さまざまな思いのこめられた佳作である。英語は難易度の高い口語表現が頻出し、方言も混じるなど上級者向き。
Home

Home

 結末で衝撃の事実がひとつ待っている。その一点を目ざして悲しみの渦が広がり、深まっていく。舞台は前作と同じアイオワ州ギリアッド。長老派教会の信者が住む小さな町で、死期の迫った老牧師の家に帰ってきた娘の立場から、同じく帰郷した兄と父親、そして娘自身の葛藤が描かれる。兄は若いころ、窃盗、飲酒と放蕩の限りを尽くし、あげくに女を妊ませて出奔。母の葬式にも顔を出さなかった放蕩息子だが、それだけに牧師は愛しくてならず、妹も兄姉たちの中でいちばん気にかけている。全体の流れとしては、衰えた父親の世話をする二人の帰郷の理由が次第に明らかにされる展開で、要は三人とも失意と傷心のうちにある。その悲哀と苦悩がお互いにいだく愛情と重なり、読む者の心をじわじわ締めつける。途中、山場らしい山場が少なく、一本調子なのが難点だが、何のけれんもない悲しみの書とも言える。最後に明かされる放蕩息子の秘密から、その人生をふりかえったとき、悲しみは極限に達する。非常に緻密な文体で、語彙的にも難易度はやや高い。