ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Alexander MacLeod の “Light Lifting”(2)

 去年の秋にインフルエンザの予防接種を受けたのに、どうも今日は朝から頭が重く、仕事の切りがついたところで早退してしまった。熱が出る前に昨日の続きを書いておこう。
 雑感でもふれたように、本書は現在、ネット経由ではどうやら日本では入手不可能らしく、ぼくはどうしても読みたかったのでわざわざカナダから取り寄せた。決して安い買い物とは言えないが、それでも読後の今はとても満足している。
 各短編に共通するパターンとしては、いちおう最後にクライマックス・シーンがあって大いに盛りあがる。で、それはたしかに劇的な事件、劇的な場面ではあるのだが、見方によってはさほど「劇的」ではないかもしれない。決して度肝を抜くような目新しい事件ではなく、むしろ日常茶飯の出来事とさえ言えるからだ。
 にもかかわらず強烈なインパクトを受けるのは、やはりそこに至る過程もまた、「独特の緊張感がみなぎり、さながらフラッシュをたきながら各場面を撮影しているかのよう」に描かれているからである。しかも、どのショットも「平凡な日常的風景」にすぎないのに心にのこる。
 たとえば第6話 "Good Kids" など、事件らしい事件といえば、せいぜい子供同士のケンカくらいだが、ぼくはふと自分の少年時代のことを思い出した。まだ小学校に上がる前だったろうか、近所のワルガキ連中とよく遊んだものだが、ある年の夏、ある少年が突然、姿を見せなくなってしまった。やがてその子はどうもニホンノーエンで死んだらしいという噂が流れてきて、それが日本脳炎のことだとわかったのは、ずいぶんあとの話である。
 今でもその少年の顔は何となくぼんやり憶えているが、あれからぼくは何度か引っ越し、もうあの界隈には住んでいない。けれども、その子がもし生きていれば今でも友だちでいるだろうか、と "Good Kids" を読みながら考えた。要はそんな思いに駆られる短編であり、内容も実際そんなものだ。
 本書はギラー賞の最終候補作というだけでなく、あの Alistair MacLeod の息子がものした短編集ということで話題性も十分。もう版権を取得している日本の出版社があるのではないだろうか。