ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Gary Shteyngart の “Super Sad True Love Story”(1)

 このところ職場が繁忙期で「自宅残業」が続いていたが、今日は気分転換。朝から本書の残りに取り組み、昼過ぎに脱兎のごとく読みおえた。いつものようにレビューを書いておこう。

Super Sad True Love Story: A Novel

Super Sad True Love Story: A Novel

Super Sad True Love Story

Super Sad True Love Story

[☆☆☆☆] ふと、ロレンスの名著『現代人は愛しうるか』を思い出した。むろん、あれほど深い人間性に関する洞察が示されているわけではないが、それでもここには、現代文明における危険な兆候を風刺しながら「人は愛しうるか」というテーマが流れている。舞台は近未来のニューヨーク。今やアメリカは経済的に破綻し、その回復をもくろむ政党が国民生活を監視する全体主義の国。超高性能の情報取得・通信装置の普及によってプライバシーは皆無となり、人間同士の直接的なコミュニケーションも阻害される一方、バイオテクノロジーによる永遠の生命を売り物にする会社も出現している。その社員で風采の上がらないロシア系ユダヤ人の中年男が韓国娘に恋をする。男の日記と娘のメールのやりとりが交代で紹介される構成だが、いずれにしてもまず、すさまじい言葉の奔流とでも言うべきエネルギッシュ、にぎやかで饒舌な文体に圧倒される。これにより俄然、中年男と若い娘の恋というお決まりの設定に強烈な物語の推進力が加わり、男の不甲斐なさ、2人のすれ違いなどから生まれる定番のコミカルな味にもいっそう魅了される。一方、上記のように経済の偏重、ネット情報への依存、新たな処方箋への過信という現代文明の状況を風刺的に描きながら、そこで右往左往する人々の姿を通じて予言される人間の運命には、何やら薄気味わるいリアルさを覚える。文明の発達がもたらした孤独と絶望、悲哀と苦悩の中で、他人との結びつき、家族の愛、心の救いを真剣に求める人々。まさに「現代人は愛しうるか」をテーマとした悲喜劇である。英語は上に書いたとおりの文体で、語彙的にもかなり水準が高いほうだと思う。