ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jennifer Egan の “A Visit from the Goon Squad”(2)

 最後まで読みおわっても結局、中盤に差しかかったときの印象はほとんど変わらなかった。雑感を書いたあと、今年のピューリッツァー賞が本書に決まったことを遅まきながら知り、全米批評家(書評家)協会賞とあわせてダブル受賞とはよっぽど傑作なんだろうな、と後半に期待をかけたものの、最後から2番目の「実験的な構成のエピソード」でがっくりきた。初めのうちこそ物珍しさも手伝って精読したけれど、そのうち飽きてしまい斜め読み。まともな小説家の書くべき内容とはぼくには思えない。それとも、ぼくが保守的な読み手ということなのだろうか。
 ただ、その後も「これを短編集と割り切って読むと、なるほどね、と感心する話」もいくつかあった。とりわけぼくのお気に入りは、音楽プロデューサーの女性アシスタントがまだ若い娘時代に失踪し、その行方を追って叔父がナポリを訪れる一編。「現在と過去、そして未来という時間の流れを結ぶ永遠の一瞬にも似た光景」が鮮やかに浮かびあがり、本書のテーマも長い時間のスパンの中でとらえた現在の人生なのかな、と思った。
 ぼくは短編集の場合、べつに統一したテーマはなくてもいいと考えている。共通テーマをいつも意識しながら短編を書きつづける作者も中にはいるのだろうが、そんな作家ばかりとはかぎらないはずだ。書いたものを集めてみたら、たまたま共通項があった。読者の立場からすれば、結果的に同じような作品に見える。そんな短編集があってもおかしくないだろう。
 けれども、輪舞方式の長編の場合、ただ単に「主人公が次々に交代する」というだけでは意味がない。新明解国語辞典によると、「群像」の定義は「多くの人の姿を主題として何かを象徴的に表そうとする作品」ということだが、そうした群像が描かれていてこそ、初めてすぐれた輪舞小説たりうるのではないだろうか。
 そう思っていちおう、「人生の有為転変、悲喜こもごも」、「孤独や挫折、喪失、絶望、悲哀、苦悩」、「つかのま(の)強烈な感動」、「絶望の中(の)救い」、「永遠の一瞬にも似た光景」などと共通テーマらしきものをレビューに羅列してみたのだが、「各話とも断片化しすぎてい」て、どうも作品全体から受けるインパクトが弱い。その点、最近の輪舞形式の秀作、Tom Rachman の "The Imperfectionists" とは大違いで、あちらは部分も非常に面白いし全体としても感服した。
 というわけで、ぼくは本書を短編集としては秀作だと思うが、長編としてはあまり評価できない。総合的には、"The Imperfectionists" のほうがはるかにすぐれた作品だと思う。