ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Hothouse Flower”雑感(2)

 今日もまずまず順調に読み進んだ。無我夢中というほどではないが、けっこう面白い。たぶんもう粗筋を書けないところまでたどり着いたのではないか。それゆえ、人物像や人物関係などでお茶を濁そうとも思ったが、本書を読みながらちょっと考えたことがあるので、今日はそれについて述べよう。
 小説の分類の話である。なんだ、そんなのどうでもいいじゃないか、と言われればぼくもそう思う。煎じつめると小説には2種類しかない。すぐれているか、すぐれていないか。もしくは、面白いか、面白くないか。
 ただ、ぼくは本書のように典型的な文芸エンタメ路線の作品に接すると、小説には大ざっぱにわけて3種類あるように思えるのだ。
   1.ストーリー重視型
   2.テーマ追求型
   3.表現重視型
 小説が好きになるきっかけは、小学生のときに男の子ならルパンやホームズ物といった1のタイプに出くわした場合が多いかもしれない。ぼくもそうだった。男女の恋愛が描かれる本書も、ストーリー展開の面白さが売りという点ではジュニア向け推理小説と大同小異で、こんな本をニヤニヤしながら読んでいると、ぼくは子供のころから少しも成長していないなあ、と思わざるをえない。
 2のタイプの代表例を挙げると、古いところでメルヴィルかな。ドストエフスキーもそうだけど、物語としても大変面白く、少なくともテーマ偏重とは言えない。3のタイプで思いうかぶのは、マルケスのようなマジック・リアリズムの作品。しかしこれも、テーマやストーリーと無関係ではない。
 理想を言えば、人生の真実にかんする深い洞察が示され、ストーリー展開から目が離せず、かつ表現的にも凝っている作品がゴヒイキなのだが、そんな三拍子そろった傑作にはそうめったに出会うものではない。本書にしても、英会話のテキストに出てきそうな決まり文句が頻出し、同じイギリスの作家でも、たとえば、つい最近読んだ Beryl Bainbridge などはこんなセリフ、間違っても登場人物にしゃべらせなかったな、と両者の差を感じてしまう。あ、いけない、うっかり重箱の隅をつついてしまった!