当たるも八卦当たらぬも八卦、本書が「世界的なベストセラーとなりそうな予感がする」理由をもうひとつ述べておくと、これを読めば、どこの国の人でも「心の原風景」を思い出すのではないだろうか。この母親のひたすら献身的な姿に接すると、自分にはとてもできないけれど、ああ、そういえば、昔はたしかに「自分がやりたいことをやるのではなく、人のために尽くす」人が自分のまわりにいたなあ、いたような気がする、いや、きっといたはずだ…と、そんな思いに駆られることだろう。
ぼく自身、幼いころの記憶をたどると、来る日も来る日も黙々と近所の川の清掃をしていたおじいさんの姿が浮かんでくる。ふざけて川に石を投げようものなら、キッとにらみつけられたものだ。あの怖い顔はいまだに忘れられない。あのおじいさんにしてみれば、「自分がやりたいことをや」っていただけのことかもしれないけれど、小学校以来の友人と酒を飲むたびに、「俺たちにはあんなまね、できっこないよな」という話になる。
本書と同じようなエピソードを体験したこともある。何だったか忘れたが、どうしても必要な書類を田舎に忘れてきたことを思い出し、提出期限が迫っているむねを母に知らせると、当時、小学校の教師をしていた母は学校を休み、東京まで新幹線に乗って届けにきてくれた。そのあとすぐに東京駅でとんぼ返り。本書を読むまですっかり忘れていた出来事だ。
もしまだ、本書の母親のような人間が身近にいるとすれば、それはとてもすばらしいことである。自分もそうありたい、と願うことができるし、少なくとも、「ひるがえって、自分は今まで何をしてきたのか」と反省することができる。ぼくはその反省しかできないのが、われながら情けないところだ。
ともあれ、本書を読めば、きっと昔なつかしい「心の原風景」を思い出し、「人間的にみごとな生き方」とは何か、ということについて考え、しばしわが身をふりかえることだろう。必読書です。