ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Binocular Vision” 雑感 (3)

 相変わらずボチボチ読みつづけ、やっと binocular vision というフレーズが出てくる話にたどりついた。これまた「さしたる事件は何も起こらないと言っていいのに、案外よく出来ている」。ある日突然、ボストン郊外の町にアイルランド系の夫と日系の妻がふらっと姿を見せ、それから25年、町の人々と深くつきあいもしないが孤立もせず、子供を3人もうけたあと、やがてまた、ふらっと姿を消す。その様子を夫妻の隣人で、3人の子供を教えた独身の女教師が書き綴る、という体裁だ。
 掌編小説ほどの長さだが、これなど「最初から最後までストーリーが淡々と進む」典型例。いや、以上のとおり、ストーリーすらないと言っていい。しかし最後、観察者である女教師の、そして日系の妻の「それまで深く潜行していた感情」がふっと浮かびあがる。それを「孤独感」と形容しただけで、本文から受ける印象とは異なり、べとついたものになってしまう。人の出会いと別れを静かにじっと見つめる心、と言うべきか。いいですな。
 珍しく連作形式の短編もあるが、その第1話 "If Love Were All" なども、いわば factual な描写の連続だ。第二次大戦中、空襲下のロンドンでアメリカ人の中年女が、ヨーロッパ各地からのユダヤ人難民を支援する団体で働いている。やがて、あるユダヤ人の男と心が通じあうようになるが…。表に浮かんできた感情は表題作よりこちらのほうが直裁だが、幕切れで感情の「波紋が一気に広がるような印象を受ける」点では同じだ。Edith Pearlman は「根っからの短編小説作家」ではないか、とますます思えてきた。
 …今週も超多忙で、なかなか思うように読めないのが残念。けっこうボリュームたっぷりの短編集なので、全米図書賞の発表日までに読みきれるかどうか心配だ。