ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

2011年ぼくのベストテン小説

 今年は途中から、故双葉十三郎氏の『西洋シネマ体系 ぼくの採点表』に準じて、読んだ本を星印(☆は20点前後、★は5点前後)で評価することにした。
 「芸術には試験の答案みたいな満点などありえない」というフタバ氏の持論はもっともだと思うので、ぼくも白星5つの満点はつけないようにしている。ちなみに、氏が最高点の☆☆☆☆★★をつけた映画は、『天井桟敷の人々』や『突然炎のごとく』など15本。どれも満点でいいような気もするが、氏は辛口で有名な評論家だった。
 さて、ぼくが今年の下半期に読んだ本の最高点は☆☆☆☆で、数えてみると7作あった。去る7月2日に発表した上半期ベスト6(http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20110702)も、今ふりかえってみると、ほとんどどれも☆☆☆☆でいいと思うが、ひとつだけ☆☆☆☆★を進呈したい作品がある。Tea Obreht の "The Tiger's Wife" である。そこで、これがぼくの今年のイチオシということになる。
 次に、今年のベストテンだが、上半期のベスト6から Barbara Kingsolver の "The Lacuna" を割愛し、下半期から5つ選ぶとちょうど10作になる。以下、下半期のベスト5を読んだ順に、そのレビューを再録しておこう。今年は11月から多忙をきわめ、また体調もくずし、思うように本を読めなかった。じつは今も、おととい以来のひどい頭痛に苦しみながらこれを書いていた。まったく年は取りたくないものだ。

[☆☆☆☆] 絶品である。老人が自分の人生をふりかえる小説にはすぐれた作品が多いが、これはそのなかでも、ひときわ心にしみる高峰のひとつだろう。ノスタルジックながら感傷を抑え、すこぶる知的で透徹した文体がつむぎだす人生の省察に読みほれ、静かな感動をおぼえる。語り手の男トニー・ウェブスターは青春時代の自分を冷静に分析。年老いたいまの自分と重ねあわせる。昔の友人や別れた恋人の思い出から、歳をとることの意味が伝わってくる。元妻や娘、孫の記述に、人生の断片的な真実がこめられている。一枚の写真のなんと切ないことか。けれども、それを見るトニーの目に涙はない。むしろ、読者のほうが自分のアルバムにも同じような写真が貼ってあるのを思い出し、胸をかきむしられのではないか。やがてトニーは、ある衝撃的な事実を発見。その事実から全篇をふりかえると、それまでさりげなく配置されてきた日常的なエピソードの重みがわかり、トニーともども、しばし茫然となる。それは本書がフィクションであることを実感する瞬間でもあるが、かくも実人生に近い題材をみごとにフィクション化するとは、これぞまさしく至芸である。
State of Wonder

State of Wonder

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[☆☆☆☆] 呆れるほどうまい小説だ。まず人物の造形がじつにみごと。主人公はアメリカの製薬会社の女性研究員マリーナ。ほかの人物との出会いには常に彼女の人生が凝縮され、その内面描写によってヒロイン像がくっきり浮かびあがると同時に、相手もまた、端役ですら意味のある存在となっている。この人物造形により、後半、アマゾンの奥地における大冒険が絵空事とは思えなくなる。情景描写も的確そのものだ。インディオの手荒い歓迎、叩きつけるようなスコール、アナコンダとの手に汗握る格闘。一方、ユーモアたっぷりの場面もあって心がなごみ、口のきけない少年とのふれあいには胸を打たれる。が、何よりもすばらしいのは、ジャングルという過酷な環境のもと、マリーナと周囲の人物とのあいだに終始一貫、緊張関係が維持されている点である。現地で謎の研究を続ける老いた女性薬学者は、マリーナが産婦人科医を目ざしていたころの指導教授。人生の重荷となった事件がよみがえるも、彼女はインディオの女に分娩させざるをえない。こうした緊張をさらに高めているのが、そもそもマリーナが現地を訪れることになったある使命だが…。心の傷に苦しみながらも使命感に燃えるマリーナの姿はじつに感動的だ。結末はやや出来すぎの感もあるものの、この人物造形、この緊張関係ならば必然的な流れだろう。英語は知的でかつ上品な文体。現代の規範的な名文だと思う。[☆☆☆☆] 何度か目頭が熱くなった。自己犠牲の尊さ、献身的な愛の美しさ、わが子を思う母親の偉大さを改めて教えてくれる感動的な物語である。年老いた母親がソウルの地下鉄の駅で突然失踪。以後、その行方を捜す家族がそれぞれの立場から、母親および妻の人生、そして自分の人生を回想する。昔かたぎで頑固な一面もあり、時には厳しく叱りながらも、とにかく愛情豊かに子供を育て、人知れず悩みながら弱音を吐かず愚痴もこぼさず、農作業から何から、家族のために文字どおり全身全霊を捧げてきた母親・妻。ひるがえって、自分は今まで何をしてきたのか。現代ではもう、めったに見られなくなったかもしれないが、昔はたしかに存在したにちがいない女性の姿、心の原風景に強く胸を打たれる。自分がやりたいことをやるのではなく、人のために尽くすことが感動を呼ぶ。この不滅の真理を余すことなく描いている点がすばらしい。叙述スタイルにも工夫がほどこされている。家族はほとんどの場合、you と呼ばれ、その意味が終盤、マジック・リアリズムの世界に近づいたとき明らかになる。この技法、このマジック・リアリズムもまた、本書を決して感傷的ではなく、あくまで感動的な物語たらしめているのである。英語は平明そのもので、内容と相まって一気に読みすすむことができる。
The Art of Fielding: A Novel

The Art of Fielding: A Novel

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[☆☆☆☆] ああ面白かった! 基本軸にあるのは単純明快な青春スポーツ小説だが、これに親子の愛情と対立、男女の恋愛、はたまたゲイ関係などが複雑にからみあい、それぞれの要素のさばき方がタイトルどおり芸術的で、どこを読んでもすぐに引きこまれる。守備の天才ぶりを認められ、ミシガン湖畔の大学の弱小野球部に入った青年ヘンリー。たゆまぬ努力の甲斐あって、メジャーのスカウトたちの注目を集めるほどに成長するが、試合中の事件をきっかけに極度のスランプにおちいる。一方、チームは珍しく連戦連勝。はたしてヘンリーに復活の日は訪れるのだろうか。緊迫した試合の模様や、ヘンリーのグラブさばきは息をのむばかり。勝負と技能のもたらす感動がストレートに伝わってくる。絶望の淵に沈んだヘンリーの姿は、まさに青春の蹉跌そのものだ。血反吐を吐くような苦しみに張り裂ける心。過ぎ去った青春の嵐を思い出す読者も多いことだろう。こうしたヘンリーの人生にくわえ、チームメイトや、ゲイの相手もふくめたその恋人たちの人生もじっくり描きだされる。将来の夢、恋愛、友情、親子の愛など語られるテーマは定番で、夫婦のいざこざ、恋の鞘当てなどメロドラマの色彩も強いが、当初は一見、無関係に思えた幾筋もの流れが次第に結びつき、やがて主な人物が一堂に会し、クライマックスへと収斂していく展開はじつに見事。「芸術的なさばき方」によって単純な物語のよさを最大限に引き出しているのが本書の最大の美点だろう。英語は語彙的にはややむずかしいが、洗練されたリズム感のある活きのいい文体である。[☆☆☆☆]『夜のサーカス』という蠱惑的なタイトルから予感されるとおり、いや、それ以上に読者の心をわしづかみにする夢の世界がここには広がっている。ある日突然、世界の各地に出現し、連夜、日没から夜明け前まで各テントで摩訶不思議なショーを演じたあと、忽然とまた消えていくサーカス。そこはまさしく異次元の小宇宙であり、観客の現実感覚を狂わせ、読んでいるだけで目もくらむばかり。が、さらに圧倒されるのは、この魔法のようなサーカスとその周辺を舞台に繰りひろげられる、若きマジシャンたちが主役の熱い人間ドラマである。これは本質的にはメロドラマなのだが、舞台にふさわしく、というより舞台と連動して、多くの関係者、当事者でさえも先行きの見えない謎に満ちた展開でサスペンスフル。亡霊なのか生身の人間なのか一種異様な人物も登場し、平凡であるはずのメロドラマが壮大なイリュージョンそのものと化している。それを盛り上げる脇役たちの出し入れもみごとで、当初は無関係に思えたいくつもの副筋が次第に主筋へと合流していく構成がすばらしい。ただし、ひとつお門違いの注文をつけると、このように現実と非現実の混淆する世界を現出することによってしか描きえない人間の現実とは何なのか。その意味がしかと伝わってこない憾みがある。が、それはこちらが本書のマジックに幻惑されたせいかもしれない。英語は平明で読みやすい。