ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Open City” 雑感 (2)

 これは去年の7月だったか、米アマゾンの上半期ベスト10小説に選ばれているのを見かけ、すでにペイパーバック版も出ているということで入手した。以来、積ん読のままでいたところ、11月に発表された年間ベストでは落選。ありゃ、このまま後回しかと思っていたら、タイム誌やエコノミスト誌、ニューヨーカー誌などで優秀作品に選ばれ、総合メディア露出度では結局、かなり上位に食いこんでいるのを知り着手した。(ちなみに、同じく評判の高い Jeffrey Eugenides の "The Marriage Plot" と Arthur Philips の "The Tragedy of Arthur" は、ぼくは廉価版ペイパーバック待ちの状態です。全米批評家協会賞の候補作にでもなればべつだけど)。
 病み上がりゆえ無理をしないようにボチボチ読んでいるが、今までの印象をひと言でまとめると、これほど内省的、思索的な小説を読むのは久しぶりだ。ま、ネクラ小説とも言えますがね。だから今のところ劇的な展開はないし、これからも怪しい。英語的にはふつうの水準だと思うけれど、こんなタイプの小説を速読するのはもったいない。熟読玩味に値する文言に出くわすこともままあるからだ。
 主人公は昨日も書いたとおり、ニューヨークの病院で精神科医をつとめている。正確にはレジデント(研修医)。冒頭から孤独の匂いがぷんぷんとただよい、仕事柄ストレスも多い。病院から市内、どの方向にも歩いて行きやすく、仕事帰りにふらりと散歩をはじめ、最後は地下鉄で帰宅するはめになることも。その散歩中、あるいは通勤中にふと目にした情景や人々が引き金となり、青年医師 Julius は自分の人生をはじめ、いろいろなことに思いをはせる。それが感傷的ではなく、すこぶる知的な内省となっている。ナイジェリア出身の黒人であることも思索の呼び水だ(母親はドイツ人)。
 へえ、と思ったのは、彼の趣味が読書と音楽、映画であることだ。ぼくとよく似ています。好みはちがうようだけど。たとえば、閉店セール中の〈タワー・レコード〉に足を踏みいれ、CDの山を漁っているうちに流れてきたマーラーの「大地の歌」に思わず耳をかたむける。おや、クレンペラー盤じゃないか…などという経験はぼくにはない。マーラーはBGMには適さないのであまり聴かないからだ。あわててクレンペラーにつづき、ワルター盤も聴いてみたけれど、どちらもやっぱりBGMにはダメ。
 …と、こんな調子で雑感を綴っていったらきりがないのでもうやめますが、ちょうど主人公が何かに触発されて内省をはじめるように、読者もこの主人公の内省をきっかけに物思いにふけるかもしれない。あれこれ考えたくなる小説です。