ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jeffrey Eugenides の “The Marriage Plot” (4)

 昨日に引きつづき、モームの『世界の十大小説』を引用しながら、"The Marriage Plot" とオースティンの作風の共通点を探ってみよう。
 「『高慢と偏見』は…最初の文章を読んだだけで、直ちに愉快な気持になる。…この文章で作品全体の調子が定まり、初めに感じた気持をそのまま持ちつづけられるので、最後のページにきて本をおくのが残り惜しく思われる」。これもほぼ "The Marriage Plot" に当てはまるだろう。すでに述べたとおり、「冒頭のシーンからして引きこまれる」からだ。
 「『高慢と偏見』は、構成がひじょうによくできている作品である」。"The Marriage Plot" もそうだと思う。一見脱線に思えるくだりも多々あるが、じつはその「脱線」に意味があることがあとでわかり、「その積み重ねがやがて主筋を盛り上げるという古典小説の伝統が息づ」いている。19世紀の小説というのは、バルザックがいい例だが、本題に入る前の「脱線」が多いものだけれど、あの「脱線」がなければ本題もおもしろくない。あれと似て、もっと本題に直結する機能的な「脱線」が "The Marriage Plot" の特色のひとつなのである。
 また、"The Marriage Plot" の場合、「同じエピソードを複数の人物の視点によって再構成しながら少しずつ物語を展開させるという現代文学の技法も功を奏している」。ぼくは文学史をまともに勉強したことがないので自分の読書体験で判断するしかないのだが、複数の視点による同一事件の再構成というのは、ドス・パソスあたりが鼻祖かもしれない。Eugenides の技法は「意識の流れ」のように前衛的なものではなく、物語性を重視した伝統的なスタイルだが、それだけになおさら洗練された作品を生みだしているように思う。
 「オースティンの小説は…平凡な事柄、『日常生活に普通の複雑な事態、感情、人物』を取り扱っていて、どの作品にもこれといって大した事件は起こらない。それでいて、あるページを読み終ると、さて次に何が起るのだろかと、急いでページを繰らずにはいられない」。内容的に「決して深くはない」 "The Marriage Plot" のノリのよさも、レビューに書いたとおり相当なものである。
 以上、駆け足でよく似た点だけ拾ってきたが、じつは(モームが論じた)『高慢と偏見』と "The Marriage Plot" には決定的な相違点もある。しかしながら、それを詳述するとネタばらしになるので、この辺で一連の駄文をおしまいにしよう。