ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“The Tragedy of Arthur” 雑感

 この週末は英訳で読んだトルストイの毒にすっかり参ってしまい、「はて、これから何を読んだものか」と、現代文学積ん読の山をながめながら迷っていたが、今日で月も変わり新年度。心機一転、Arthur Phillips の "The Tragedy of Arthur" に取りかかった。
 これはぼくの勘違いでなければ、たしか去年の米アマゾン上半期ベストテン小説に選ばれていたはずだ。その後、同年間ベストには落選したものの、ニューヨーカー誌やライブラリー・ジャーナル誌では高く評価されるなど、総合メディア露出度はけっこう高かった作品である。
 これはまず、版元の序文(Preface)にビックリさせられる。'Random House is proud to present this first modern edition of "The Tragedy of Arthur" by William Shakespeare.' とあるからだ。え、ホンマかいな、と誰もが目を疑うことだろう。
 ところが、いざ本文に入ると、作者自身による長大な序文(Introduction)がえんえんと続き、巻末に "The Tragedy of Arthur" なる戯曲が収録されているという体裁だ。つまりメインは作者の序文で、しかも「序文」とは名ばかり。少し読めばわかるように、内容的には明らかにフィクションである。
 Arthur Phillips は知らない作家だったので、ざっとネットで検索したところ、実際の経歴と一致する内容も多少取り入れられているようだが、大半はやはりフィクションと見て差しつかえあるまい。つまり本書は自伝小説であり、シェイクスピアの埋もれた作品も、じつはどうやらパスティーシュらしい。ちらっと目を通すかぎり、'thou sayest' など、ああ、大学時代にこんな英語を読んだっけ、という記憶がうっすらあるものの、本格的に勉強したわけではないので、ほんとうにシェイクスピアそっくりの文体かどうかはわからない。
 作者によると、"The Tragedy of Arthur" を説明するためには、その原本の入手経路などもふくめ、自分の人生を説明する必要がある、ということなのだそうだ。えらく手の込んだ設定だが、さすが「シェイクスピア劇の序文」だけあって、内容も文体もまた、ずいぶん込みいっている。ゆうべは息子が買ってくれたドンペリを飲んだあと安ワインを飲み過ぎ、そのせいか読んでいるうちに舟をこいでしまった。