ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Arthur Phillips の “The Tragedy of Arthur” (2)

 「技巧的な、あまりに技巧的な作品」と昨日のレビューには書いたが、これは大変な労作でもある。巻末のシェイクスピア劇のパスティーシュ、"The Tragedy of Arthur" をちらっと読んだだけでも、そのすごさに圧倒される。シェイクスピアの研究者やファンだったら、時間をかけてじっくり目を通したくなるにちがいない。
 ただ、ぼくは本家本元のほうをまともに読んだためしがなく、四大悲劇をはじめ一部の作品を学生時代にかじり読みした程度なので、パスティーシュを読んでも本物と比較することができない。というわけで、実質的にパスしてしまった。
 さいわい、劇の巻頭にはシノプシスが載っているし、そのシノプシスも「序文」のほうで少しずつ紹介されるので、おおよその内容を知ることはできる。一般のファンにはたぶん、それで十分だろう。
 しかもありがたいことに、本書は「シェイクスピア劇のパスティーシュを導入するための自伝小説という設定」である。つまり実際のところ、「序文」と銘打たれた自伝小説のほうが本体であり、パスティーシュのほうは付録のようなものだ。それゆえ、付録を読まなくても本体の鑑賞には困らないはず……と判断したのだが、いやいや、それは甘いよ、と正統派の文学ファンからは座布団が飛んできそうですな。
 ともあれ本書は、ど素人のぼくのように、シェイクスピアと聞いて思わず、ええっと引いてしまう読者がいることも想定して書かれている。作者と同名の作家である主人公が、自分は昔からシェイクスピアには無関心だった、と冒頭から告白しているからだ。つまり、「ど素人」でもこの自伝小説は楽しめますよ、という作者のしたたかな計算が働いているわけで、これはうまいなあ、頭のいい作家だなと思った。今日はここまで。