ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Naomi Benaron の “Running the Rift” (2)

 よろず無知なぼくでも、さすがにルワンダ虐殺のことは何かの記事で知っていたが、本書の終幕に差しかかったとき、実際はどうだったんだろうと思ってネットを検索してみた。いやはや、「慄然とするような大惨劇」などという表現は陳腐で生ぬるい。ぼくは Wiki を読んでいて気分がわるくなり、とても最後まで目を通せなかった。被害者の総数については諸説あるものの、ルワンダ政府の推定によれば、当時の人口730万人のうち、「117万4000人が約100日間のジェノサイドで殺害されたという。これは、一日あたり1万人が、一時間あたり400人が、1分あたり7人が殺害されたに等しい数字である」。
 その昔、某社にレジュメを依頼されて読んだ、ポル・ポトにかんするノンフィクション(題名は失念)にはたしか、カンボジアの全人口の1割、つまり10人に1人が殺されたと書いてあったように記憶しているが、わずか100日間で7人に1人が殺されるとは、このルワンダ虐殺は、間違いなく史上最悪のジェノサイドのひとつだろう。こういう数字の前には、フィクションはいかにも分がわるい。言葉による説明が回りくどく感じられるからだ。
 映像とくらべても同じことが言える。大昔、映画『夜と霧』を観たときの吐き気はいまだに忘れられないし、『キリング・フィールド』もいちおうBSで録画はしているものの、あの頭蓋骨の山を思い出すと腰が引けてしまう。ルワンダ虐殺についても、『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』という映画があることを、恥ずかしながら今回初めて知ったのだが、ちょっと場面を想像するだけで頭が痛くなってしまう。
 つまり、数字や映像のほうがストレートに頭に飛びこんできて、それだけ言葉よりインパクトが強いわけだが、では、ジェノサイドを説明する手段として言葉が、小説が、文学が一般的に劣るものなのかというと、ぼくはそうは思わない。言葉は、数字や映像では表現しにくい領域に踏みこむことが可能だからである。その領域とは、「ジェノサイドを引き起こす人間そのものの悲劇性」である。…長くなりそうなので、今日はこの辺で。