ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

今年のピューリッツァー賞予想

 読みはじめた本はあるのだが、多忙につき雑感を書くほども進んでいないので、今日は発表が迫ってきた今年のピューリッツァー賞の予想を。といっても、周知のとおり、この賞のショートリストは受賞作と同時に発表されるので、不勉強のぼくは PPrize.com の予想の受け売りでお茶を濁すしかない。このサイト、去年の予想はずばり的中だったが、今年はどうでしょうか。ともあれ、既読のものはレビューを再録しておこう。
1. "Binocular Vision"

Binocular Vision: New & Selected Stories

Binocular Vision: New & Selected Stories

[☆☆☆☆] オー・ヘンリー賞受賞作もふくむ選りすぐりの旧作21編と、13の新作をあわせた珠玉の短編集。とくに凝った文体ではなく、ユダヤ系の老若男女の日常生活を中心に、ドラマティックな展開もなく淡々とストーリーが進む。いや、小説的事実が積み重なっていくだけで、ストーリーとさえ言えないかもしれない。ときおり、さりげなく喜怒哀楽が示されるものの、彼ら彼女たちが感情をあらわにすることはめったにない。が、そこに何かしら深い思いが流れていることだけは伝わってくる。やがて迎える幕切れの一節、一行、ひとこと。それまで潜行していた感情が水面に浮かんできて、波紋が一気に広がる。意外な事実が暴露されることもある。一方、感情がかいま見えるだけのことも。この最後の瞬間にすべてが集約されている。出会いと別れ、愛と悲しみ、生と死。まさに人生が凝縮された一瞬である。たまたま10年おきに再会した男と女がかわす視線のなんと雄弁なことか。これは、そういう「閃光の人生」をみごとに捉えながら、技巧を技巧と感じさせないすぐれた短編集である。英語は語彙的にややむずかしく、また抑制された感情を汲みとる意味でも精読を要求される。
2. "The Tiger's Wife"
Tiger's Wife

Tiger's Wife

[☆☆☆☆★] 生と死を結び、現実と非現実を重ねあわせることで生まれる不思議な世界を描いた秀作。旧ユーゴが舞台なので、東欧マジックリアリズムの誕生を告げる作品と言っていいかもしれない。「虎の妻」にしても「不死身の男」にしても、本書の核心をなす物語は、いくつもの伝説や説話などを織りまぜたようなフォークロアの色彩が強い。その圧倒的なストーリーテリングにまず魅了される。これは相当に面白い。が一方、主人公の若い女医が、亡くなった祖父の物語るフォークロアの世界へと踏みこんでいくうちに、紛争によって分断された国家の現実、消えた統一国家という「幻の現実」も浮かびあがる。そういうドキュメンタリー・タッチが混じって粛然となったかと思うと、女医が訪れる祖父の生まれ故郷や死んだ町などでは、非現実的な夢のような世界が待っている。このコントラストがじつに鮮やかだ。また一方、女医が祖父の物語を追いかけることは、亡き祖父の人生を検証、追体験すると同時に、その死を悼む行為でもある。怪奇実話なみに面妖な物語の底に、じつは哀感が流れているのだ。それが消えた国家への哀惜の念と重なる点がみごと。ともあれ、ここには生と死、そして現実と非現実の融合が認められる。その端的な例が「虎の妻」であり「不死身の男」である。マジックリアリズムのゆえんだが、それはユーゴスラビア紛争という悲劇が生みだした、まさに東欧独自のものではないかと思われる。国家の歴史と運命を背景にしたマジックリアリズム小説の誕生に絶大なる拍手を送りたい。英語は平明で、ときに難易度が上がるものの総じて読みやすい。
3. "The Buddha in the Attic"
The Buddha in the Attic (Pen/Faulkner Award - Fiction)

The Buddha in the Attic (Pen/Faulkner Award - Fiction)

[☆☆☆★★★] アメリカに移住した日系一世の女性たちの苦難の物語である。希望に胸をふくらませながらの渡航、彼の地で待っていた厳しい現実。夫から性の奴隷のように扱われ、過酷な農作業に従事し、出産や育児の苦労をなめ、やがて太平洋戦争が勃発して強制収容。ざっとそんな内容だが、叙述スタイルに見るべきものがある。どのくだりでも畳みかけるように対句表現が多用され、そのリズムに思わず乗せられる。悲惨な歴史をこれほどテンポよく語りつづける小説も珍しいのではないか。しかも、語り手は「私たち」ということで、個人的な感傷が集団のものとして純化され、いくつもの苦しみが大きな歴史の流れへと収斂していく。その結果、小品ながら大河小説に匹敵する効果を上げているところがすばらしい。事実、悲劇に翻弄されつづけた日系女性たちの運命を思うと、しばし茫然となってしまう。英語はごく標準的でとても読みやすい。
4. "Stone Arabia"
Stone Arabia

Stone Arabia

5. "The Marriage Plot"
The Marriage Plot

The Marriage Plot

[☆☆☆☆★] 作中人物の言葉をもじって言えば、「現代において結婚は小説の題材たりうるのか」。本書は、この問いにたいするみごとな答えである。と同時に、結婚が主要なテーマのひとつだった19世紀英文学の本歌取りでもあり、伝統的な小説作法を踏襲しながら現代文学の成果も盛りこみ、さまざまな現代の事象や風俗で味つけすることによって、結婚という古典的なテーマを鮮やかによみがえらせている。つまりこれは、古典と現代の融合という文学的な野心に満ちた作品なのである。主な舞台は80年代のアメリカ東部。名門ブラウン大学で英文学を専攻する女子学生が卒業式を迎えた日から物語は始まる。彼女に2人の男子学生がからむ三角関係と、その結婚をめぐる騒動。要するにそれだけの話なのに、これが無類におもしろい。文学や記号論、宗教、生物学など専門的な分野への脱線は知的昂奮をかきたて、3人と親や姉、友人たちとのふれあいはコミカルで笑いを誘い、心理を緻密に掘り下げたかと思うと、アクションはテンポよく活写。緩急自在の文体がすばらしい。どの細部も饒舌にして愉快な仕上がりで、その積み重ねがやがて主筋を盛り上げるという古典小説の伝統が息づく一方、同じエピソードを複数の人物の視点によって再構成しながら少しずつ物語を展開させるという現代文学の技法も功を奏している。主人公の文学研究が実際の小説として応用され、彼女と相手の男の人生が小説化されたもの、という点では現実と虚構の混淆さえ認められる。こうした華麗な文体と巧妙な技術が凡庸なテーマを支える本書は、まさに「小さな説」という小説の典型例である。英語は語彙・構文ともに現代の作品としてはかなりむずかしい部類に入ると思う。
6. "Open City"
Open City

Open City

[☆☆☆★★★] 「私は自分の心を探った」――第2部冒頭の言葉だが、これは全編に当てはまる。ある孤独な若い精神科医の心の旅、それもすこぶる知的な内面検証の記録が本書なのである。彼はニューヨークの市内をあてもなく歩きまわり、そこで目にした情景や、耳にした音楽、出会った人々との会話などに触発され、じつにさまざまな問題に思いをはせる。先住民の時代にまでさかのぼるアメリカ史の流れ、アメリカにおける黒人の地位(彼はナイジェリア出身なのだ)、休暇を過ごしたブリュッセルではパレスチナ問題、そして9.11事件。青年医師の思索は倫理的、精神病理学的な観点からも成り立ち、さながら文明批評の感さえある。だが、どれもこれも結局、彼にとっては「心の旅」の一環なのだ。祖国ナイジェリアで過ごした少年時代の思い出や、別れたばかりの恋人への思いといった個人的な体験にはじまり、それが決して感傷にとどまらず、自分の存在基盤を探り、確かめていく過程の中で文明論にまで発展する。あるいは、マーラー交響曲の分析に示されるように、人間の死および人生一般へと思索を深める。要するに、自己の内面を客観的に検証すればするほど、その客観性ゆえに自分を超えつつむ大きな問題にぶつかり、そこからまた個人的な問題へと立ち返る。書中の言葉をもじって言えば、「内なる現実」と「外側の現実」の相関関係がここには認められる。これほど内省的で、かつ知的な「魂の彷徨」を描いた小説は、そうめったにあるものではない。英語は内容をよく反映した緊密な文体で、語彙的にもややむずかしいが、総じて難解とまでは言えない。
7. "The Art of Fielding"
Art of Fielding

Art of Fielding

[☆☆☆☆] ああ面白かった! 基本軸にあるのは単純明快な青春スポーツ小説だが、これに親子の愛情と対立、男女の恋愛、はたまたゲイ関係などが複雑にからみあい、それぞれの要素のさばき方がタイトルどおり芸術的で、どこを読んでもすぐに引きこまれる。守備の天才ぶりを認められ、ミシガン湖畔の大学の弱小野球部に入った青年ヘンリー。たゆまぬ努力の甲斐あって、メジャーのスカウトたちの注目を集めるほどに成長するが、試合中の事件をきっかけに極度のスランプにおちいる。一方、チームは珍しく連戦連勝。はたしてヘンリーに復活の日は訪れるのだろうか。緊迫した試合の模様や、ヘンリーのグラブさばきは息をのむばかり。勝負と技能のもたらす感動がストレートに伝わってくる。絶望の淵に沈んだヘンリーの姿は、まさに青春の蹉跌そのものだ。血反吐を吐くような苦しみに張り裂ける心。過ぎ去った青春の嵐を思い出す読者も多いことだろう。こうしたヘンリーの人生にくわえ、チームメイトや、ゲイの相手もふくめたその恋人たちの人生もじっくり描きだされる。将来の夢、恋愛、友情、親子の愛など語られるテーマは定番で、夫婦のいざこざ、恋の鞘当てなどメロドラマの色彩も強いが、当初は一見、無関係に思えた幾筋もの流れが次第に結びつき、やがて主な人物が一堂に会し、クライマックスへと収斂していく展開はじつに見事。「芸術的なさばき方」によって単純な物語のよさを最大限に引き出しているのが本書の最大の美点だろう。英語は語彙的にはややむずかしいが、洗練されたリズム感のある活きのいい文体である。
7. "Swamplandia"
Swamplandia!

Swamplandia!

9. "The Angel Esmeralda"
The Angel Esmeralda

The Angel Esmeralda

9. "The Lost Memory of Skin"
Lost Memory of Skin: A Novel

Lost Memory of Skin: A Novel

11. "Say her Name"
Say Her Name: A Novel

Say Her Name: A Novel

12. "Ten Thousand Saints"
Ten Thousand Saints: A Novel

Ten Thousand Saints: A Novel

[☆☆☆★] 1980年代のニューヨークとヴァージニア州の田舎町を舞台に、ドラッグ、ハードロック、暴力、セックスなどが盛りこまれたアングラ色の強い青春小説。衝動的な高校生たちの行動が活写されるうちに、複雑な家庭環境におかれた孤独な人物像がまず浮かびあがる。やがて少年の一人が麻薬中毒で死亡、少女が妊娠するなど突発的な事件が相次ぎ、恋と友情、傷心、後悔、自責の念といった青春の心の嵐が吹き荒れる。お決まりの展開だが、とにかく彼らはマリファナを吸いまくり、エレキギターをガンガン鳴らし、ボカスカ殴りあう。ゲイや違法なタトゥーの世界も入り混じり、あのころはみんな大いにハメをはずしたものだ、というノスタルジックなメッセージが伝わってくる。それに共感ないし感動を覚えるか否かは、読者自身の個人的な体験にかかっているような気がする。英語は活き活きとしたノリのいい文体だが、語彙的にはややむずかしいかもしれない。(4月24日記)
13. "The Tragedy of Arthur"
The Tragedy of Arthur: A Novel

The Tragedy of Arthur: A Novel

[☆☆☆★] 技巧的な、あまりに技巧的な作品である。読者の反応まで計算にいれた用意周到な設定で、独創的な仕掛けを複雑精妙に練り上げた手腕はただごとではない。が、その巧みの業に幻惑されたせいか、心から感動を覚えることは少なかった。主人公は作者と同名の作家で、彼がシェイクスピアの埋もれた戯曲をいかに発表することになったか、という長大な序文がえんえんと綴られる。贋作偽造の天才だった父親から渡された原本は、はたして本物なのか。その真偽をめぐる大騒動はすこぶるこっけいで、ブランドに弱い世間のスノビズムも読みとれ、本書の白眉だろう。一方、作家は幼い子供時代からの回想を通じて、父親および双子の姉への思いを吐露する。愛と憎しみ、怒り、そしてまた愛。ほろっとさせられるくだりもあるが、要するにホームドラマであり、得られるものは少ない。とはいえ、シェイクスピア劇のパスティーシュを導入するための自伝小説という設定は、作者自身の人生のパスティーシュであるとも言え、家族愛という平凡なテーマを「二重のパスティーシュ」によって表現したところに非凡な着想が認められる。それを高く評価すべきかどうか。読者を選ぶ問題作である。英語は内容に即した相当に入り組んだ文体で、語彙もふくめて現代の作品としては難解な部類に入るだろう。
14. "Salvage the Bones"
Salvage the Bones

Salvage the Bones

[☆☆☆★] 疾風怒濤の青春時代を描いた小説といえば、ある一定の筋書きが思いうかぶものだが、本書はメッセージもふくめて定石どおり。主人公の心中の嵐と対応して、実際にもハリケーンが吹き荒れる点が目新しいくらいか。舞台はミシシッピー川河口の町。純情な高校生の黒人娘が妊娠するが、相手の少年にはべつの彼女がいる。当然、揺れる恋心と不安が綴られるものの平凡だ。一方、娘の兄が飼っている闘犬の出る試合は緊張感にあふれ、兄が終始変わらず犬に愛情をそそぎ、それが最後、娘の再生への希望につながるなど、この犬の扱い方はうまい。ハリケーンの襲来シーンも予想どおりながら迫力満点。町の破壊と娘の傷心が重なり、そのあと「再生への希望」が示されるのも定番ながらいい。ただ、それが感動を呼ぶほどではないのは、何もかもほとんど「定石どおり」だからではないだろうか。会話にはブロークンな表現もあるが、総じて標準的な英語だと思う。
15. "Train Dreams"
Train Dreams

Train Dreams

[☆☆☆★] 20世紀前半、アイダホ州の田舎。とくれば、おそらくアメリカ人なら反射的に郷愁をかきたてられる、心の原風景のひとつだろう。ここには決闘やキャトル・ドライブこそ見られないものの、いかにも西部、フロンティアらしい土と汗の臭いのする物語が展開している。いや、物語とも言えないかもしれない。早くに妻子を亡くした男が各地で鉄道の工事や木の伐採、馬車による運送など、さまざまな肉体労働に従事する。森の中に建てた小屋で一人暮らし。男は長生きし、生態系の変化や世の中の変遷を実感。フォークロアやほら話のたぐいもあり、思わず笑ってしまったり、ストイックな男の深い悲しみにしんみりしたり。亡き妻の姿や夕日に映える遠い山々など、人生という一睡の夢に出てくる情景の連続を綴ったもので、アメリカ人には切ないほどに懐かしい、今や失われた夢の風景集かもしれない。が、これに心から共感を覚えたとは言えないのは彼我の差ゆえだろうか。英語は語彙的にはややむずかしいが、流れに乗れば読みやすい。