ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Chris Fabry の “Almost Heaven” (2)

 知らない作家の知らない作品を、表紙が魅力的だからという理由だけで買って読む「見てくれ買い」。ストーリー的にすぐれた小説に出会うことが多く、今までのヒット率はなかなかのものだが、今回は残念ながら外れ。途中まで、せいぜい☆☆★★★くらいの出来かと思っていたほどだ。それが後半ようやく快調になったので、★を1つオマケして☆☆☆と採点した次第である。
 まず、「一難去ってまた一難、しかし苦労の甲斐あって、という展開がいかにも図式的で」おもしろくない。ストーリー重視型の小説の場合、しばしば定石どおりの展開になるものだが、それでも定石を定石と感じさせないだけの工夫や筆力があれば十分楽しめる。ところが、本書にはそうした補完要素が足りない。それどころか、たとえば、主人公ビリーをあっさり見捨てた幼なじみの女がじつは、信仰心の厚いビリーに深く感化された soulmate であったというくだりなど、「読者を神の賛美へと導こうとする意図が見え見え」でガックリくる。
 それから何と言っても、「善なる神がなぜ悪の存在を許し、不要な試練を人間に課すのか」という弁神論の問題を提出しておきながら、これまた上の意図でごまかしているのがよろしくない。ビリーの家が洪水で流されるシーンを日本の読者が読めば、誰でも東日本大震災のことを思いうかべるだろう。そのとき、もし信者だったら、あれほどの被害をなぜ神は人間にもたらすのか、そこに何か深い意味があるのか、と疑問に思うかもしれない。そういう疑問を投げかけられ、なるほど、神のみわざには人間には計り知れぬものがある、と問題の入り口だけで満足する信者がいるとはとうてい思えない。ゆえに本書は「突っこみ不足」。
 ともあれ、キリスト教図書賞といえば、雑感にも書いたとおり、ぼくには Charles Martin の "When Crickets Cry" の印象が強く、宗教うんぬんとはべつにウェルメイドな小説を期待したのだが、これは看板ならぬ表紙に偽りあり。カワイコちゃん(古いなあ)には気をつけろってことですかね。