昨日、愛媛の田舎で父の四十九日の法要をすませ、たった今、松山のネットカフェに入ったところ。飛行機で羽田に帰るまでの時間を利用してこれを打ちこんでいる。
さて、"Bring up the Bodies" についてまとめよう。これは何度も言うように「なんのケレンもなく史実どおりに進む」展開で、その意味でごくごくオーソドックスな歴史小説である。出来は決してわるくない。とりわけ、「リアルで凄惨をきわめる」アンの処刑場面が圧巻で、さすがはブッカー賞作家だけのことはあると感心させられる。
が、残念ながら、前作 "Wolf Hall" とくらべると、いかにも単調で物足りない。「裏話、楽屋話の楽しさが影をひそめ」、仕方のない成り行きではあるが「サクセス・ストーリーやホームドラマとしてのおもしろさもない」。さらに最大の難点は、「トマス・モアの理想主義という対立軸をうしなった」せいでクロムウェルの現実主義だけがのこり、「作品全体に深みが欠ける結果ともなっている」ことである。前作でモアが処刑されてしまったので、これまた「仕方のない成り行きではあるが」、理想をうしなった現実がいかに平凡なものとなるかを本書はよく教えてくれる。
"Wolf Hall" について書いた駄文を引用すると、クロムウェル「の政治姿勢は信念に由来する理想主義ではなく、情勢判断に基づく現実主義である。国家の繁栄と安泰を願ってはいるが、国家の存在基盤となる理念や価値観を守ろうとするタイプの政治家ではない」。それゆえ、「各要人のあいだを自在に動きまわる」うちに「愉快な裏話、楽屋話」がもたらされるわけだが、反面、最期までおのれの信念を枉げず、断頭台の露と消えたモアのように、ちょっと調べただけでも読者が思わず襟を正したくなるようなエピソードは生まれない。クロムウェルが主人公ということで彼にいささか身びいきの描き方ではあったものの、前作 "Wolf Hall" では、少なくとも理想と現実という「対立軸」があり、それが作品全体に一種の緊張感を与えていた。その理由もあって、同書は秀作たりえていたのである。
その「対立軸」がうしなわれた結果、あとにのこったクロムウェルの現実主義は要するに二番煎じ。「各要人のあいだを自在に動きまわる」姿も、前作を大いに楽しんだ者としては、ああまたか、ということになる。しかも上述のように単調な展開ゆえ、ますますインパクトが弱い。
ともあれ、森護の『英国王室史話』によると、クロムウェルはその後、国際情勢を見誤った責任をヘンリー8世に問われ、モアと同じく反逆罪で処刑されることになる。したたかな現実主義者の哀れな末路である。次作ではその悲劇が描かれるはずで、ほかの史実とあわせてどんな展開になるかおおよそ見当がつくが、その予想をみごとに上回る秀作となることを期待したい。