ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Foreign Bodies” 雑感 (2)

 この連休はほんとうに連休で、なんとなくダラダラ過ごしてしまった。活字に接したのは本書の続きを少しと、あとは就寝前、坂口安吾の捕物帖を数ページだけ。それもほとんど睡眠薬代わりだった。(安吾の文体、さすが文士と感心します)。
 さて今日から気合いをいれ直し、といっても通勤時と、帰りにスタバに寄ってがんばった結果、あともう少しというところまで漕ぎつけた。ブログを書かなければ楽に読了できるはずだが、ほとんど評価も決まっていることだし、レビューの下書きのつもりで駄文を綴ることにした。
 まず簡単な素人小説論。ぼくがふだん読んでいる小説には大別して、(1) テーマ追求型、(2) 表現重視型、(3) ストーリー重視型の3種類があるように思う。(あ、これ、いつかも話しましたね)。さらに言えば、(4)キャラクター重視型でしょうか。もちろん、どの小説にもテーマがあり、それを効果的に表現しようとする試みがなされ、その試みの一環としてストーリーが組み立てられ、テーマにふさわしいキャラクターが登場する。したがって、各要素をバラバラにして分類する意味はほとんどないのだが、それでもどれかひとつが強く心にのこるということはある。
 今年読んだ本で言うと、トルストイの英訳短編集 "The Death of Ivan Ilyich & Other Stories" は典型的なテーマ追求型。"The Kreutzer Sonata" など、作者はストーリーを度外視して主人公に禁欲を語らせているとしか思えない。それがたいへんな熱気を帯び、こちらも知的に昂奮するところがすごい。
 一方、今月になって読んだ "A Vintage Affair" や "Ready Player One" などはストーリー重視型でしょう。両書の味わいはずいぶん異なるけれど、どちらもまず物語の展開がおもしろく、その意味で昂奮しながらクイクイ読める。それから Kevin Wilson の "The Family Fang" では、公共の場で「ハプニング芸術」を演じてみせる人物たちのキャラがとてもユニークでしたね。
 さて、ずいぶん引っぱりますが、この "Foreign Bodies" は明らかに表現重視型ではないかと思う。各人物の性格・心理・立場などを描くとき、たんなる紹介にとどまらず、「インテリジェンスを感じさせる格調の高い文体で、詩的で感覚的な表現」を駆使してとにかく丹念に練りあげていく。これをテーマの追求として見ると、理論的というより芸術的なアプローチである。ストーリー的にはさほどおもしろくない。
 …と、ここまで書いたらくたびれてしまった。引っぱったわりに内容のない駄文で申し訳ありません。