ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

2012年ブッカー賞ロングリスト発表 (Man Booker Prize 2012 longlist)

 ロンドン時間で25日、今年のブッカー賞のロングリストが発表された。これを見ると、Hilary Mantel の "Bring up the Bodies" をはじめ、現地のファンのあいだで取り沙汰されていた作品がほとんどで、その意味では意外な選考ではない。ただ、Rachel Joyce の "The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry" が入っているのにはガックリ。あちらの評判がいいのでぼくは一度注文したのだが、シノプシスをちらっと読み、何となくヤワな感じがしてブッカー賞には合わないだろうと思い、注文を取り消してしまった。
 全12冊の候補作の中で、ぼくがすでに読んでいるのは Mantel だけだ。ご存じ "Wolf Hall" の続編だが、前作から期待したほどの出来ではなく、評価は辛めである。もちろん異論はあると思う。それから、Nicola Barker も有名作家だ。2007年の最終候補作 "Darkmans" はとてもおもしろかった。同じ年、Tan Twan Eng の "The Gift of Rain" もロングリストに選ばれたが未読。
 以上がいちおう知っていると言える作家で、あとは現地ファンの下馬評で小耳にはさんだだけ。その下馬評をたよりに Vanessa Gebbie の "The Coward's Tale" を読み、大いに期待していたのだが見事に外れてしまった。ともかく、候補作を並べておこう。"Bring up the Bodies" のレビューは再録です。(追記:後日つけくわえたレビューもあります)。

[☆☆☆★★] 今回のヤマは、ヘンリー8世の新王妃となったアン・ブリーンが男子の世継ぎを産めず、処刑されるというおなじみの大事件。前作と同じく宮内長官トマス・クロムウェルの立場から描いたもので、前王妃キャサリンの他界、アンの流産、ヘンリーと女官ジェイン・シーモアの密通と、なんのケレンもなく史実どおりに進む。間然とするところのない構成で緻密な描写も健在だが、前作とちがって裏話、楽屋話の楽しさが影をひそめたのは残念。途中の山場も少ない。クロムウェルは相変わらず冷静な観察力と交渉術にたけ、カネを武器に各要人のあいだを自在に動きまわり、身勝手な国王の願望実現のために尽力する。が、そのしたたかな現実主義のおもしろさは二番煎じの感を否めず、また、トマス・モアの理想主義という対立軸をうしなったぶん、作品全体に深みが欠ける結果ともなっている。とはいえ、クロムウェルがアンの「愛人たち」を尋問するあたりから大いに盛り上がり、アンの処刑場面はもちろんリアルで凄惨をきわめる。クロムウェルの庇護者トマス・ウールジを失脚に導いた張本人たちへの復讐劇となっているのが新解釈かもしれない。クロムウェルの最期を予感させるくだりもあるが、国王に翻弄される現実主義者のはかなさは次作のお楽しみ。本書は結局、3部作のつなぎの役割しか果たしていないのでは。英語は時代をよく反映した古風な表現が目だつが、難易度はさほどでもない。
The Yips

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[☆☆☆★★★] 人生はおよそ不条理で無意味、混沌としてなんの脈絡もなく、予想外の事件が偶発的に起こるだけ。ひとは偶然にふりまわされ、醜態を演じ、空疎な言葉を吐きちらしながら不条理に耐えて生きるしかない。とそんな状況がもしほんとうに人生の現実なのだとしたら、本書はその現実を極端にデフォルメし、とことん戯画化した型やぶりなファースである。全篇これ、活発でコミカルなおしゃべりに次ぐおしゃべり。脱線に次ぐ脱線。ドタバタに次ぐドタバタ。通常の意味でのストーリー展開は皆無に近く、出てくる人物も程度の差こそあれ、ほとんど奇人変人ぞろい。比較的まともな人物でさえ狂騒劇、ドタバタ喜劇に巻きこまれてしまう。こんな破天荒な〈トーク小説〉はちょっと読んだことがない。まさに度胆を抜かれるが、あまりに饒舌なおしゃべりと荒唐無稽な茶番のくりかえしにいささかゲンナリ。とはいえ、鋭い文明批評や人間性にかんする深い洞察も読みとれるほか、ナンセンスな口論や喜劇を通じて人生の不条理を端的に表現している点がじつにすばらしい。爆発的なまでにエネルギッシュな文体で綴られた天下の奇書である。(8月18日)[☆☆☆★★] まるでおもちゃ箱をひっくり返したように、いろいろ楽しい要素が雑然と詰めこまれた作品である。ドタバタ喜劇、ロマンス、スパイ・陰謀小説、歴史小説、SF。舞台も17世紀のヴェニスから約二万年後の未来のロサンジェルスまでさまざまだが、大半を占めるのは1930~40年代のベルリン、パリ、ロス。ゆえに台頭するナチスの影やホロコーストの悲劇もかいま見えるものの、それはあくまでたんなる時代背景にすぎない。主人公のドイツ人青年イーゴンが政治情勢から極力背をそむけ、ひたすら自分の願望を追い求め、欲望に走りつづけているからだ。タイトルどおりテレポーテーション装置にまつわる事件が大きな山場となり、爆笑もののケッサクな珍事件がつぎつぎと発生。そこに国家の謀略だの疑似科学だの、脱線気味の諸要素が紛れこんだ結果、混沌とした世界が生じている。それが第二次大戦前の混乱した世相を反映し、ひいてはテレポーテーションによる瞬間移動こそ、じつは根無し草という人間存在の象徴なのだと思わせる点もあり、その意味で本書は、こっけいで、はかない人間の姿を斬新なアイデアで描いた喜劇ともいえよう。ただし深みはない。永続的な価値や理想に無関心なイーゴンは、ひとを笑わせることはあっても感動させる力はないのである。(9月8日)
Philida

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[☆☆☆★] いわゆる従軍慰安婦南京大虐殺、日本の戦争責任など、日本人にとって看過することのできない重大な歴史問題、政治問題をはらんだ文字どおり問題作だが、純粋にフィクションとして見ると特筆すべき点が多い。まず自然描写の美しさ。マレーの山奥にある日本庭園が舞台とあって、木々や草花、風のそよぎをはじめ、微妙な色や〈空気の濃淡〉にいたるまで静かな筆致でみごとにとらえられている。この技法は繊細な心理描写にも当てはまり、とりわけ、戦争体験を通じて日本人に怒りと憎しみをおぼえる中国系の女性ユン・リンと、彼女が造園術を学ぶべく弟子入りした亡命日本人の庭師アリトモのふれあいが感動的。こまかい心のひだに染みこんだ深い悲しみと喪失感がしみじみと伝わってくる。老いたユン・リンと面会した元神風特攻隊員とその上官のやりとりなどにも、いい知れぬ痛切な思いがこもっている。が一方、善玉と悪玉が峻別され、大半の日本兵は蛮行をおかす鬼畜のごとき存在として描かれる。これと枯山水弓道、浮世絵などを通じて浮かびあがる日本人の精神文化とのギャップが激しい。よしんば蛮行が事実であったとして、〈もののあはれ〉を愛する民族がなぜ「鬼畜」と化したのか。そういう根本問題を素どおりして、一部の良心的な人間と大半の獣人に色分けすることには大いに疑問をおぼえる。日本人にかぎらず、パスカルのいうように、人間とは「天使でも獣でもない」存在ではないのか。図式的な人間観が根底にある以上、美しい自然描写も巧みな心理表現もその魅力は半減するといわざるをえない。図式的な人間観は、図式的な歴史観にも通じている。日本における刺青の歴史は詳しく書かれているが、なぜ日本が太平洋戦争へと突入していったのかという説明はいっさいない。列強の衝突や植民地の独立という大きな歴史の流れも無視されている。つまり、歴史の光と影を影一色に塗りこめているわけであり、こうした暗黒の歴史観が土台にあることを思うと、〈空気の濃淡〉や心のふれあいへの感動もすっかり色あせてしまう。ただし、作者の歴史観、人間観に共鳴する読者も多いはずで、本書はおそらく読者によって評価が分かれるという意味でも問題作だと思う。(9月12日)
Skios

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[☆☆☆★] 喪失と断絶、そして和解がテーマのロード・ノヴェル。イギリス南部の町に住む老人フライのもとに、遠い昔親交のあった女クィーニーから手紙が届く。ガンを患い、北部の町のホスピスに入院しているという。フライは衝動的に、歩いて見舞いにいこうと決心、500マイル以上にもおよぶ旅に出る。自分が歩きつづけるかぎり女は生きている、と信じるフライ。感動的な奇跡の物語といいたいところだが、その後の展開も結末もおおむね予想がつき、「奇跡」とは思えない。道々フライが人生をふりかえるのも定石で、心優しかったクィーニーをはじめ、いまやすっかり疎遠の妻と息子など各人物の性格も類型的。お涙頂戴式ではないにしても感傷的で甘ったるく、かつ大同小異の描写のくりかえしに退屈してしまう。求道者のごとく歩きつづけるフライに共感し、大勢の人びとが巡礼に参加するくだりなど、型どおりの展開に目先の変化をつけたものにすぎない。ただ、ちょっとした心のふれあいに見るべきものがあり、胸を打たれる言葉や場面も散見される。重箱の隅をつつかないほうが楽しめそうな水準作である。(8月11日)
Swimming Home

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[☆☆☆★] 夏の夜、フレンチ・リヴィエラの山道を疾走する車。別荘のプールで全裸で泳ぐ若い女。開幕早々、そんな派手なシーンが続出して幻惑されるが、やがて生と死という古典的なテーマが浮かびあがる。ただし、その提示のしかたはかなりトリッキーだ。上の女キティのほか、別荘に宿泊している有名な詩人とその妻子、友人夫妻などが交代で登場し、それぞれの人生模様が鋭いタッチで鮮やかに描かれる。夫婦のすれちがい、若者の恋、欲望、鬱屈した思い。観光地にふさわしく、いろいろなテーマで撮影された完璧なショットの連続である。そんな静かな光景のなかに突然、感情の嵐が吹き荒れる。キティがなんども異常な行動に走りながら詩人に急接近、冒頭シーンへともどる。その流れに巧妙なトリックが仕掛けられているわけだが、事件の核心がわかっても古典的なテーマだけにインパクトはさほどない。途中のみごとな映像効果が売りの水準作である。(8月29日)[☆☆☆☆] 幕切れ寸前、ミステリでもないのに高まるサスペンスに心臓がドキドキ。茫然としながら最終章を読みおえた。ふたつの流れがいつかは結びつくものと思っていたが、まさかこうなるとは。人生の断面を鮮やかに切りとった、とてもウェルメイドな小品である。夏の終わり、イギリス人の中年男フスが休暇を利用してライン川ぞいのハイキング。道々思い出すのは、別れたばかりの妻や、少年時代に離婚した両親、幼なじみの友人とその母など。どの場面でもまずフスの行動が淡々と描かれるうち、灯台を模した香水瓶やタバコ、懐中電灯などが引き金となり回想がはじまる。この小道具の使いかたがじつにうまい。男の孤独な匂いもいい。また過去・現在を問わず、各人物の微妙な心理のからみあいから生じる静かな緊張感がみなぎり、ホームドラマ、メロドラマとわかっていても目は終始釘づけ。一方、フスが最初に泊まった小さなホテルでも、経営者の妻で浮気な女エスターを中心に〈心のさざ波〉が静かにうねりつづける。フスとエスターはどうつながるのか。胸を打たれる感動的な物語というほどではないが、いつまでも少年の心をうしなわぬ男フスの人生を香水瓶が象徴しているように、行間に深い余韻のある佳篇である。(8月27日)
Umbrella

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Narcopolis

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[☆☆☆★] 1980年代初期に実在したかもしれぬ〈麻薬都市〉ボンベイ。本書はそれを紙上で再現しようとした試みである。アヘン窟の経営者や客、売人、売春婦など、社会の底辺にいる人びとはなにを思い、なにに苦しみ、どんな夢を見ながら暮らしていたのだろうか。彼らの日常生活の断片、人生の断面が少しずつ明らかにされると同時に浮かびあがる、猥雑で混乱に満ち、不潔で貧しく、犯罪のはびこる麻薬の街。序盤は各エピソードが熟さぬうちに焦点が移動し、散漫で雑然とした雰囲気だが、これは本書がアヘンを吸って見るパイプの夢、つまり夢物語であることの象徴ともいえよう。やがて人物関係が定まり、各人の人生と都市の風景が照応しはじめたところで物語も異様な熱気を帯び、夢と現実、記憶と幻想がいり混じった都市小説となる。ユニークな試みだが、いくらパイプの夢とはいえ、終盤も散漫な構成でピンぼけ気味なのはいただけない。物語の核となり強烈な求心力をもつテーマが存在しないからだ。ある時代、ある都市で暮らすことが人間の内面にとってどんな意味を有するのか、それを深く掘りさげてこそはじめて〈都市小説〉といえるのではなかろうか。(8月26日)
Communion Town

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